連載小説=おてもやんからブエノスアイレスのマリア様=相川知子=第1回

ブエノスアイレス市は世界一河幅の広いラプラタ河に囲まれている。写真奥の海に見えるのがラプラタ河。真ん中のレンガ作りの建物は昔の港倉庫。プエルト・マデロ地区は高層マンションや高級レストランが立ち並ぶ区になっている。(撮影 相川知子)
ブエノスアイレス市は世界一河幅の広いラプラタ河に囲まれている。写真奥の海に見えるのがラプラタ河。真ん中のレンガ作りの建物は昔の港倉庫。プエルト・マデロ地区は高層マンションや高級レストランが立ち並ぶ区になっている。(撮影 相川知子)

1.熊本のおてもやん

 海から降り立ったとき、その街のぜんぶが見えた訳ではない。でも、私には新しい世界が見えたと思う。
 現実には、私の記憶は四角い小さな部屋にさかのぼる。100日近く船の中でゆらゆらとした生活の後は揺られない寝床で眠るのはまさに極楽であった。どうやって、船を降りたのか、どうやってその寝床までたどり着いたのか、どんな寝床だったのか、それはもうわからない。忘れたね。いろいろなことがあった。長い長い話になるだろう、遠い昔なのだから。
 ただ、この地に上陸し、そのまま入った場所でゆっくりゆっくり深い眠りに落ちることができたのを覚えている。その幸福感。あれは私の一生の中で一番だった。安堵の眠りなんて、そうそうなかった。
 たくさんのことを忘れてしまったけれども、その記憶が残っているうちに少しだけ話しておきたい。甘露の眠りの前と後に起こったことを。
 
 わたしは熊本で生まれた。熊本は阿蘇山の噴火などで有名だが、熊本といえば、そのときはおてもやんだった。
 おてもやん あんたこの頃嫁入りしたではないかいな。。。。
 一つ山越え も一つ山越え あの山越えて この歌を何度歌うことができたか、だから、山ならず海を渡ったのだろう。(第一章終了 つづく)

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