【新年創刊特別号】日本の心を次世代に伝えていくメディア=ブラジル日報会長 林隆春

林隆春会長

 みなさま明けましておめでとうございます。ブラジル日報会長に就任させていただいた林と申します。私とブラジルとの出会いは、民政移管があった1985年に遡りますから、かれこれ36年間、35歳から71歳の現在に至るまで、私の仕事人生の最も充実した時期をこの国と関係して過ごすこととなりました。
 私はキリスト教の信者ではありませんが、『旧約聖書』の『伝道の書』には、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
 生まれる時、死ぬ時
 泣く時、笑う時
 抱擁の時、抱擁を遠ざける時
 求める時、失う時
 黙する時、語る時
 愛する時、憎む時
 と、こんなことが書かれていました。人それぞれにさまざまな人生があり、色々な運命があります。人生は平等ではない。理不尽な扱いを受けることも多い。生きたくても生きられない大病、事故に遭い自分や周囲の人たちの運命も激変することがありますよね。予測出来ない運命、予測出来ないが必ず訪れる死の不安。その心を安らかにしてくれるのが宗教なのでしょうね。
 私がブラジルに来てまず驚いたのは、日系人のみなさんが実にさまざまな宗教を信仰しておられることでした。浄土真宗、禅宗、神道に始まり、非常に多くの宗教団体がありました。キリスト教、キリスト教の中でもさまざまな宗派を信仰しておられる方がいました。
 移民で来て祖国の庇護がない中でがんばる礎が欲しい、それがさまざまな宗教であったのかと感じさせる一つの現象でした。誰もが何かよく分からないが「大いなるもの」に触れていたい。安心したい。
 それはキリスト教かも、仏教かも、ヒンドゥー教かも、イスラム教かもしれない。チベット仏教徒の多くはヒマラヤ山脈に向かって祈りを捧げます。仏教と神道がまるで合一したような宗教作法です。
 バイア州のサルバドールに旅行した時、アフリカ系のみなさんが朝早く海に向かって祈っておられるのを見て、日本の神観念で森羅万象に神が宿る「八百万神」に通ずるものを感じました。
 神道における経典は何か。宮司さんの学校で「教科書は何ですか」と聞くと、「古事記や古今和歌集」だと言います。「それは歴史書であって、経典ではないですよね」と私が余計なことを言うと、「日本の心を学ぶのです」と諭されました。
 日本の神道は制約が少なく、どんな色にも染まりやすい、いわば「なまくら型」で(私の家には同じ部屋に「神棚」と「仏壇」が置いてあります)、言わばゴッドとブッダが同居しているのですが、違和感はありません。日本の葬式は飾りは神式ですが、大多数は僧侶が読経してお見送りします。
 私にとっては楽で身の丈に合った宗教ということで、浄土真宗本願寺派と私の町の真清田神社の天火明命(あめのほあかりのみこと)を私も家族も信仰しています。信仰というのは身に羽織る服のようなもので、ないと困るし、身体に合っていないと何か気持ちが悪い。
 また、着こなしも大切で、着こなしが悪いとアフガニスタンのタリバンのようになります。タリバンはもともとイスラム教神学校「マドラサ」で学んでいた学生が中心になって結成した西洋主義、十字軍勢力の排除から始まったものが「やめられない、とまらない」運動になり、現在に至っています。
 反対者を認めることのない一神教は時として暴走することもあり、私のようなどっちつかずの「なまくら」信者の方がバランス感覚が良さそうな気がしています。
 身の丈と着こなしは結構大切なもので、私は聖書を読みますが、キリスト教徒にはなれないなと思うのは、西洋で育った宗教は好きになっても違和感があって着こなしが上手く出来ないなと思うからです。
 日系人のみなさんは、さまざまな宗教をそれぞれ上手く着こなしておられるのには感心してしまいます。活字文化も同じで、日本語で、日本文化で育った人は身の丈がそこに定まり、長じてポルトガル語で社会生活を送るようになっても思考回路が日本語、日本文化が落ち着くようです。
 30年程前、サントスの老人ホームで清楚なご婦人が数カ月前のサンパウロ新聞をなめるように読んでおられ、また、ロンドリーナでおじいさんがこれまたサンパウロ新聞を隅から隅まで一言一句見落とさない位食い入るように読んでいたのを見ましたが、これらも同じく思考回路、帰趨本能ゆえのことなのでしょう。
 ロータリークラブの友人にタクシー会社の社長がいて、「林さん、運転手は最初に運転手をした場所に年を取ったら戻ってくるものだよ」と言っていたことを思い出します。日本語のブラジル日報とポルトガル語のJornal Nippon Já、それぞれ紙とインターネットがあり、どちらが主流になるかは市場が決めることですが、どちらにしても日本の心、思考回路、DNAを大切に残し、次世代に伝えていくメディアが一つは必要だと考えています。
 みなさま方の末永いご支援、ご愛顧お願いして新年のご挨拶とさせていただきます。今年一年宜しくお願い致します。

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