詩が呼び起こすチベットへの共感=サンパウロのアジア系住人の今⑤チベット人編2

ジゼル・ウォルコフさん
ジゼル・ウォルコフさん

 チベットからの難民、亡命者の子供としてインドで生まれ、その悲哀を詠った「テンジン・ツンドイ詩撰集(Poesia Selecionada de Tenzin Tsundue)」が、昨年5月にブラジルで英語からポルトガル語に翻訳されて発行された。
 訳者のジゼル・ウォルコフさんは、フルミネンセ連邦大学の教授で、学生時代はサンパウロ大学でアイルランド文学を学んだ。これまで、アイルランドやポルトガル、インド、米国の詩の訳書を手がけた。2018年から1年間は、京都外国語大学に招へいされ、ポルトガル語を教えていた。
 ジゼルさんがツンドイさんの詩を翻訳することになったきっかけは、2009年にインドからブラジルに移民した詩人で学者のシェリー・ボイルさん(インド・ヒマーチャルプラデーシュ州出身)との出会いだった。シェリーさんは去年1月から、サンパウロ市のチベットハウス(チベット亡命政権ブラジル代表部事務所)でコンサルタントを務めている。
 チベット人の亡命首都であるインドのヒマーチャルプラデーシュ州ダラムシャーラに住んでいたシェリーさんは、2003年、活動家で詩人のテンジン・ツンドイさんのチベットに関する講演を聞いてチベットに興味を持ち、チベット文学の博士号を取得した。
 チベットに関する2冊の参考書「世界の舞台でのチベットの主観(Tibetan Subjectivities on the Global Stage)」、「亡命チベットの新しい物語(New Narratives of Exile Tibet)」を出版し、前者はチベットと亡命中のチベット人の社会政治的問題をテーマに、後者は亡命中のチベット人が生み出す文学的、文化的な世界をテーマにしている。
 「ダラムシャーラにあるチベット亡命首都は、故郷を去ることを余儀なくされたチベット人の抵抗と回復力の場所です」とシェリーさんは語る。

「テンジン・ツンドイ詩撰集」の最後に載せられたチベット独立運動の合言葉である「ランゼン(平和)」のロゴ
「テンジン・ツンドイ詩撰集」の最後に載せられたチベット独立運動の合言葉である「ランゼン(平和)」のロゴ

 ジゼルさんとはいつもお互いが知っている詩人について語り合い、ツンドイさんの詩も話題に上った。
 ジゼルさんは2018年4月からツンドイさんの詩の翻訳を始め、コヘイオ・ブラジリエンセ紙(Jornal Correio Braziliense)に「ムンバイのチベット人」と「ダラムシャーラに雨が降る時」の翻訳詩が掲載された。後者はこの詩撰集の中でもジゼルさんが特に気に入っている詩だという。
 「テンジン・ツンドイ詩撰集」は、ツンドイさんが1990年代に書きとめた散文と詩を織り交ぜた作品「KORA」から選集された。「KORA」は2002年に初版が発行され、スペイン語、ポーランド語、日本語など、すでにいくつかの言語に翻訳されている。しかし、「詩撰集」という形では今回のジゼルさんのポルトガル語への翻訳が唯一である。
 ツンドイさんとは翻訳のために度々メールで連絡を取り合い、その印象を「カリスマ性のある偉大な活動家であり作家!とても寛大!偉人!」と語る。昨年6月には出版を記念し、ジゼルさんの恩師であるサンパウロ大学のLaura Izarra教授(アイルランド文学専門)の大学院クラスにオンラインでツンドイさんを招待し、シェリーさんも一緒に、彼の軌跡と文章について意見交換を行った。
 「ツンドイさんは人々の心と触れ合いたいのだと思います。詠まれた詩は叙情的で、個人的でありながら、チベット全体を集約している『大胆かつ勇敢』な作品です」
 ツンドイさんは、戻り難い故郷を求めて叫び、あまり議論されない覇権主義に巻き込まれたチベットの地政学的な境遇を再考する必要性を訴えている。
 詩の翻訳を通じて、チベット人が今も非常に苦しんでいる人々だと思うようになったジゼルさん。特にツンドイさんの詩「ムンバイのチベット人」からは、そのことが如実に感じられる。
 「テンジン・ツンドイ詩撰集」の最後に掲載されたチベット独立運動の合言葉である「ランゼン(RANGZEN)」は、チベット語で「平和」を意味する。同詩撰集は松浦弘智さんが運営するdigipub.me社から出版され、売り上げの一部はチベット独立運動に寄付されている。
 ジゼルさんが京都に暮らしていた時、チベット仏教にも縁のある大谷大学でチベット文化について学ぶ機会は無かった。「日本でチベット人亡命者について触れることは「タブー」のように感じた」という。(つづく、取材/執筆 大浦智子)

 

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