日常が途切れる時

 

3車線目まで広がったマルジナル・チエテの路面陥没(1日付G1サイトの記事の一部)
3車線目まで広がったマルジナル・チエテの路面陥没(1日付G1サイトの記事の一部)

1日朝、サンパウロ市の地下鉄6号線の工事現場で大型下水管が破損し、大量の汚水流入が起きて隣接する幹線道路マルジナル・チエテの路面が陥没との報道が流れた。テレビに映るその場面をみながら、07年にマルジナル・ピニェイロスで起きた地下鉄の駅建設現場の大陥没事故を思い出した。
 今回の事故で起きた陥没は徐々に拡大。2日朝には大量のコンクリートを流し込む作業が始まったが、近隣住民は「この世の終わりかと思った」などという感想を漏らしだ。
 15年前の事故や今回の事故、先週末から続く雨で27人の死者が出ているサンパウロ州、先日丸3年を迎えたミナス州ブルマジーニョでの鉱滓ダム決壊事故、サンパウロ市コンゴーニャス空港で起きたTAM機の事故など、戦争とは無縁のブラジルですら、突然の出来事で事件当事者の日常が途切れる事はままある。
 また、突然ではないが、今も続くコロナ禍でも日常は途切れた。一体、どれだけの人が命を落とし、後遺症に苦しんでいる事か。コロナ禍で行き来できなくなった人や場所も数えきれない。
 「日常が突然途切れる」という意味では、次男がまだ小さかった頃、乳母車に次男を入れ、上の娘達の手を引いて買い物に出た時のことが忘れられない。信号が変わったからと歩き出した途端、信号無視の車が目の前を走り抜け、乳母車をひっかけられかけたからだ。
 何事もない毎日、あるいは当たり前だと思っている日常は当たり前ではない事、自分達があずかり知らぬところで、どれほど大きな出来事が起きているかなどを思い知らされるのはこんな時だ。
 今回の事故は下水管破損が原因のため、汚水がなだれ込むまでに間があった事などで死傷者は出ておらず、周辺の高層ビル崩壊の危険性もないという。だが、周辺には天然ガスの輸送管もあり、ガス爆発が起きていた可能性もあったと考えると背筋が凍る。
 生きている限り、人は何らかの務めを負っているとよく言われるが、日常が途切れるような出来事に直面すると、生きている事実と命の重さ、自分に課せられた務めなどを今一度考えさせられる。目の前の日常にとらわれず、時には立ち止まる事の必要も覚えつつ。
      (み)

 

 

最新記事