ロライマ州ボアビスタの日系コミュニティの今=少数精鋭、尊敬される日系人3=日系人の顔となった2家族

土井夏夜さん
土井夏夜さん
建設資材店カステロン
建設資材店カステロン

 「今、ボアビスタで最も大きな日系人家族が、江田家と土井家です。今は孫世代になり、入植初期のことを知る人は少なくなりました。建設資材店『カステロン』を経営するドナ・ルシアさんは、日本人移民の入植から今日までのことを日本語で語れる数少ない生き証人です」
 ANIR(ロライマ日伯協会)の江田シロミル代表は、ロライマ州日本人移民の歴史を辿るための手掛かりとして、関夏夜(なつよ、旧姓:土井、通称ドナ・ルシア)さんを紹介してくれた。
 夏夜さんは、土井家が経営するボアビスタ最大の建設資材店カステロンの店舗代表を務めている人物。カステロンの他にも土井家の経営する建設資材店はカマッコ、カクランの二店舗あり、日本人家族が経営している店として町で知らない人はいないという。

ロライマ州への2回目の日本人移民の派遣団として

 夏夜さんは1950年、佐賀県鹿島市に生まれた。1961年、11歳の時に父・土井堅三郎さん(1991年死去)と母・モヨさん(92歳)、妹2人と弟と一緒にブラジルに移民した。5月に神戸港でアメリカ丸に乗船し、7月にパラ州のベレン港で下船。そこからボアビスタに移動し、さらに約90km離れたタイアーノ移住地に入植した。土井家はロライマ州への2回目の日本人移民の派遣団の一家族で、同じ佐賀県出身の9家族と1人の個人、合計53人で構成されていた。
 「日本を出る時は、両親と一緒で子供だったから、「ブラジルまで行けて楽しいな」という好奇心だけでした。タイアーノに到着してがっかりしましたね」とブラジルに来た当初の印象を思い返す。
 「電気はないし、水は濁った井戸水でとてもそのままでは飲めない。学校に行っても言葉は分からない。当時の日本人は『こんなことで負けてたまるか』と根性と忍耐で乗り切りましたが、日本政府にはもう少し責任を持って調査しておいてほしかったですね」と「このアサイはおいしいのよ」と天然のアサイを食べながら、これまでの歩みを振り返ってくれた。
 土井家はタイアーノで黒コショウを4年間栽培する契約だったが、到着して早々、過酷な状況が眼前に広がった。同地の土地は肥沃だったが、コショウ栽培には雨が必要にも関わらず、乾季が2、3か月続き、黒コショウは育たなかった。やむを得ず、両親と一緒にトウモロコシやコメ作りを手伝いながら4年間を耐え忍んだ。

土井夏夜さんのきょうだいと母モヨさん(中央)
土井夏夜さんのきょうだいと母モヨさん(中央)

 さらに深刻だったのは、当時の交通事情で、収穫した作物を販売するのにも、消費者のいるボアビスタまでは土道で遠いことに加え、タイアーノからボアビスタまでは途中に2つの川があり、1カ所には木製の小さな橋が架かっていたが、もう一つには橋も架かっていなかった。雨季には道は完全に封鎖され、今でこそアスファルトが敷かれて道路事情も良くなったが、病気になった時は頼れる医者も医療機関もなかったため、診察を受けるためにボアビスタまで飛行機で飛ぶしかない状況だった。
 夏夜さんの父親がマラリアにかかった時には、地元で自然薬を使って一年以上かけて治療した。「とてもタイアーノにはいられない」ということで、多くの家族がボアビスタやマナウス、ベレンなどに移住し、日本に戻る者もいた。(取材・執筆/大浦智子、つづく)

 

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