セアラー州ジュアゼイロ・ド・ノルテの美容院で働いていたエリダニア・フェレイラ・モレイラ氏(32)は昼食時、一口大に切り分けた鶏肉の料理を受け取った。ハンセン病で手に力が入らず、しびれさえ感じている彼女には、鶏肉はもちろん、髪の毛を切る事もままならないのだ。
それでも彼女は2019年に始まった治療の最終段階にいる。8歳の時にも感染し、肉体的な痛みと社会的な痛みに苦しみ、泣いてきた彼女。最初の発症時には教師から学校に来るなと言われ、頭部にできた傷のために頭髪をそり、「少年」と呼ばれた。
学校に行ってひどい目に遭うよりは、家で泣き暮らす方がよいと思って休んだ事や、痛みがひどくなって入院したせいもあり、彼女は小学校で留年。今回は2度目の感染とあってより冷静に受け止めているが、痛みに苦しみ、仕事もままならない生活はやはり辛い。
ハンセン病がもたらすものは痛みだけではない。サンパウロ市在住のレオナルド・サントス・オリヴェイラ氏(31)は、ハンセン病と診断された事で妻に捨てられた上、病気のためにひざが曲げられず、車椅子生活を強いられた。
同氏の場合、治療によって身体は動かせるようになったが、しみや痛みは抜けず、病気で失った力や感覚も取り戻せていない。菌は6~12カ月でなくなるが、後遺症は数年~数十年続く事もある。
世界保健機関の統計によると、2017年の新規感染者は2万6875人。ブラジルはインドに次いで、世界で2番目に同病の患者が多かった。
ブラジルの新規感染者は毎年3万人弱で、2019年も約2万7800人の感染者が出た。2020年は前年比で35%減の約1万7900人、2021年は45%減の1万5155人だった。
数字だけ見ると、20~21年はハンセン病患者が減ったかに見える。だが専門家は、新型コロナへの感染を恐れたりして診察や検査を受けに行くのをためらい、診断の対象とならなかった上、治療も受けられなかった人が出ていたと見ている。
ハンセン病はらい菌によって皮膚や末梢神経が侵される慢性の病気だ。菌に感染しても発病する事は稀だが、1940年代までは不治の病として、家族や社会からも隔離されたまま亡くなった人がいた。だが、1943年のプロミンをはじめとする薬の開発で確実に治る病気となった。
それでも、治療を行わずに放置すれば、他の人に感染を広げる可能性もあるし、症状や後遺症が重くなる可能性もある。
ハンセン病は治る病気となって久しく、検査や治療は統一医療保健システム(SUS)でも受けられる。だが、ブラジルでは初期段階で診断できる医師が少なく、進行してから治療が始まり、後遺症に悩む人も多いようだ。
ハンセン病は貧困者の間で多く見られ、患者発生はマット・グロッソ、マラニョン、パラー、バイア州南東部、ミナス州北東部などに集中しているという。