ロライマ日系コミュニティは、1955年に11家族、61年に9家族が到着してスタートした。
故・中山正さんは55年にタイアーノ移住地に移住予定だったが、始めはパラー州に住み、72年にマナウスへ移った。74年にボアビスタに移住し、2015年に亡くなるまで、ボアビスタから100キロ離れたイラセマで、ロライマ州政府の職員として務めた。
息子の中山ラリソン・ペドローザさんは、ロライマ州最初の日系市長として2期(2009-2012、2013-2016)にわたってイラセマ市長を務めた。
1980年代に入ると、ブラジル連邦政府はロライマ州への国内移民増加計画を発表し、他州からの移民を募集した。当時、約30家族の日系人がブラジル北東部と南部から移住した。80年代に到着した移住者には、ロライマ州の稲作技術の発展に重要な役割を果たし、地域最大の稲作農家として同州からも一目を置かれる日系二世の市川ネルソン氏などがいる。
若い州であるロライマ
ロライマ州は1943年にリオブランコ・ブラジル連邦領土となり、1988年に州として正式に承認された。州としてはまだ30年ちょっとの若い州である。ボアビスタには「開発途上の町」といった雰囲気が漂い、中心街を歩いていても、きれいな家と家の合間に大きな空き地が至る所に見られ、明らかに新しい人やビジネスが参入する余地がある。ここ10年でロライマに移住してくる日系人も増加した。同州の開発に関わる公務員やアグロビジネス(農業)に関する者が中心だ。
ロライマ日伯協会(ANIR)の登録簿には、ANIR創設時の2008年には、日本人とその子孫101家族が居たと記されている。この家族の内、41人が公務員(40・6%)、15人が商業(14・8%)、26人がアグロビジネス(25・7%)の分野で働いていた。パラナ州出身の青年事業家が、ボアビスタ最大のボア・ビスタ・エコ・ホテルを建設したことも特筆に値する。2021年時点では、ロライマ州に約140家族、約700人の日系人の存在が認められている。
成長するロライマ州に好機を見出す
「成長を感じるロライマ州が大好きです。多くのチャンスがあります」元ANIR会長の福田美知恵さん(59歳、パラナ州ノーバ・エスペランサ生まれ)は、2008年に夫マルシオさん(65歳、パラナ州ウライ生まれ)と2人の息子と一緒にロライマ州ボアビスタに移住した。
「隣国のベネズエラや英領ギニアの人々は日本や農業に関心があります。ロライマの農産物はパナマ運河に近い英領ギニアから輸出でき、ブラジル南部や南東部とは違った経済優位性があります」と話す。
マルシオさんは長年農業に従事して、大豆やトウモロコシなどを生産していたが、農業が成長しているロライマ州を見込み、2007年に農業機械を販売する「グリーン・マッキナス」を設立した。家族でボアビスタに移住し、予想通り事業は軌道に乗った。
美知恵さんはANIRが創設される前の2007年、JICAの地域活性化研修を日本で受けた。帰国後はANIRの運営で中心的役割を果たし、ちょうど日本政府やJICAの支援で会館が設置された2016年から2019年まで代表を務めた。
「パラナ州やサンパウロ州の日系人協会は半世紀以上の歴史がありますが、ANIRはまだ14年。さらに日本との関係を強化し、日伯間の学術交流などを活発化させたいです。ロライマの人々は日本文化が好きなので、行政や民間レベルで日伯交流に臨めればと願っています」と展望を述べた。(取材・執筆/大浦智子、つづく)