ウクライナ系移民多いブラジル=世界から東欧へ平和の祈り

ウクライナ語とポルトガル語でミサを行っているプルデントポリスの教会(5日付フォーリャ紙電子版の記事の一部)
ウクライナ語とポルトガル語でミサを行っているプルデントポリスの教会(5日付フォーリャ紙電子版の記事の一部)

 ブラジル国内メディアの報道を通じて、ブラジルへのウクライナ移民が1896年に始まり、同国出身者やその子孫が約60万人いる事、その8割がパラナ州におり、「ブラジルのウクライナ」と呼ばれる人口の75%がウクライナ系住民の町まである事を知った。
 「ブラジルのウクライナ」ことパラナ州プルデントポリス市では、週に1度、ウクライナ語教室を開き、同国の文化も教えているため、ウクライナから来た宣教師は「母国にいるような懐かしさを覚えた」という。
 この事はロシアによる軍事侵攻で心を痛めている人達がブラジルにも多数いる事を意味する。
 先日、SNSサービス「フェイスブック」に久々にアクセスした。すると、日本にいる知人が、「弟の奥さんのお母さんがロシア人。それも現在のウクライナ出身者だから、ウクライナとロシアのために祈っている」と書き込みをしていた。自分からは遠い世界で起きていると思っていた事が急に身近なものに感じられ、驚きを覚えた。
 ウクライナから帰国したブラジル人が「混んだ列車で17時間立ったまま移動した」と知った時は、今は亡き父母達が満州から引き揚げてきた時、ギュウギュウ詰めのトラックの中で背負われていた当時2歳の次兄が窒息死し、遺体を海に沈めたという話を思い出した。
 家族や親族が同地にいる人達には、砲撃で倒れた人々の話はまさに自分の家族の話のように響くはずだ。
 知人のようにロシアやウクライナに繋がりがある人が身近にいる訳でもなく、センチメンタルになっているだけといわれても仕方がないが、顔も知らぬ次兄が間接的だが戦争で死んだと知る身には、人々が戦火で倒れ、苦しみ、悲しむのを見るのは辛い。血肉を分けた人達を思い、眠れぬ夜を過ごしている人達がいるであろう事は推して知るべしだ。
 ブラジル人の中にはウクライナ救援のため外国人部隊入隊を希望し、現地に旅立った人がいるし、ウクライナから帰ろうとせず、従軍志願した人もいる。
 ブラジルを飛び出して救援活動に向かう事もできず、戦争が終わる事や犠牲者が少なくて済む事、国外に脱出した人達の無事や生活が守られる事を祈るしかできないこのもどかしさ。
 ロシアは、兄弟と呼んでいたウクライナが欧米諸国に接近する事が許せなかったという。他方、家族や兄弟ではない人達までが世界中から東欧に向けて平和の祈りを捧げている。奇跡の起こる事を願って止まない。(み)

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