2022年1月のブラジル日報創刊を心よりお喜び申し上げます。海外邦字紙は、日系移民の間のコミュニケーションを支え、日系社会での日本語や日本文化の維持・発展に貢献し、日本との懸け橋となるという重要な役割を担っており、ブラジル日報の創刊を大変うれしく思います。
まず、私自身とブラジルとの関係について少し触れたいと思います。最初の出会いは約50年前の1973年に遡ります。そのとき私は東京大学の大学院生でしたが、ある先生からの依頼で、ブラジルからの留学生の日本語チューターを務めることになりました。その留学生が、後にブラジル日系人初の外交官となり、在インドネシア大使、在韓国大使を歴任された故エジムンド・ススム・フジタさんと、サンパウロ大学教授として今もご活躍されている二宮正人さんです。
私は、両氏の想いを引き継ぐ人材を育成することが今後の日伯関係の深化のためにも不可欠だと考え、サンパウロ大学の協力のもと、お二人の名を冠した日本開発研究プログラム「フジタ・ニノミヤチェア」を2019年に立ち上げました。現在、このプログラムをモデルとする「JICAチェア(JICA日本研究講座設立支援事業)」を約50か国の有力大学で展開しており、日本の近代化や第二次世界大戦後の復興、途上国に対する開発協力の経験を学んでもらっています。「JICAチェア」は約100か国で展開することを目標としています。
2017年から2019年にかけて、私はJICA理事長として、ブラジルやパラグアイ、コロンビア、メキシコなどの中南米諸国を訪問しました。訪問先では、日系人の皆さんを含め多くの方々と意見交換を行い、移住して以来の苦難と多大な努力により今の日系社会を築き上げ、信頼を獲得して現地社会の発展に貢献してこられたことを再認識しました。
今年の3月7日には在日ブラジル大使館において、エドゥアルド・サボイア大使より、ブラジル政府の「オルデン・ド・クルゼイロ・ド・スル勲章コメンダドール位」(南十字星国家勲章コメンダドール位)を授与いただきました。大変光栄かつ名誉なことと感激しています。この場を借りて改めてご関係の皆様に深く感謝申し上げます。同時に、在日ブラジル大使館内に新たに設置された「エジムンド・ススム・フジタ大使スペース」の除幕式に、来日されたマリア・リガヤ・フジタ夫人、二宮正人さんと共に立ち会うことができたことも大きな喜びでありました。
次に、邦字紙の歴史を振り返りつつ、その重要性について述べたいと思います。明治初期の日本では、新聞が文明・情報伝達の担い手として、極めて重要なものでありました。東京帝国大学法学部教授吉野作造らは、これらの新聞などが散逸することに危機感を持ち、昭和2(1927)年に「明治新聞雑誌文庫」を創設しました。東京帝国大学法学部に設置された「明治新聞雑誌文庫」(現:近代日本法政史料センター 明治新聞雑誌文庫)は、明治期に刊行された新聞および雑誌の収集、調査、保存を行っており、最大のコレクションを誇ります。吉野作造より代々引き継ぎ、私も東京大学法学部教授在職時代にその責任者を務めていました。
また私は1987年に清沢洌という人の伝記を書きました(『清沢洌―日米関係への洞察』、中央公論)。清沢は1905年に16歳でアメリカに渡り、西海岸での日本人移民排斥運動が高まっていた時期に大変な苦労をしながら学校へ行き、シアトルの邦字紙で働いた経験を持ちます。戦前の外交評論家の中で最も優れ、1920年代から敗戦直前までの日本の軍国主義を厳しく批判した人物です。私はこうした研究から、邦字紙の重要性を痛感するようになりました。
海外邦字紙の歴史は、1886年にサンフランシスコで中村隼雄が「東雲雑誌」を発行したことに始まります。ブラジルでは、1908年の笠戸丸により日本人移住がはじまり、1910年代の日本移民は主にサンパウロ州の内陸部に点在していました。多くの日本移民はポルトガル語を十分に理解することができず、母国日本やブラジル国内についての必要な情報が不足しており、故国を離れた日本人移民にとって日本語による新聞発行が必要となっていました。
このような背景から、1916年に星野謙一郎が「週刊南米」を創刊し、その後同年に金子保三郎と輪湖俊午郎が「日伯新聞」を、翌1917年に黒石清作が「伯剌西爾時報」を発行し、徐々に邦字紙は移民の生活の中に欠かせないものとなっていきました。
しかし第二次世界大戦の影響を受け、日本語が敵性言語と認識された1930年代に各邦字紙は廃刊となりました。戦後に複数の邦字紙が再び発行されましたが、2018年に「サンパウロ新聞」、2021年には「ニッケイ新聞」が廃刊となってしまいました。その「ニッケイ新聞」の後継としてブラジル日報が創刊されたことは重要な意義を持つと思います。これまで日本語の新聞の刊行を続けてこられた方々に、深い敬意を表したいと思います。
私は、民族のアイデンティティの核は宗教と言語だと考えています。例えばジョージア人やアルメニア人、ユダヤ人などは、祖国を離れて世界に離散しても、何世代にもわたって、民族固有の宗教と言語を維持しています。
日本の場合は、宗教に代わって皇室がアイデンティティの核となっていると思います。そしてブラジルをはじめとする中南米日系社会においてもアイデンティティの維持・発展のために日本語はとても重要だと思います。日系社会における日本語の維持のためにも、海外邦字紙の果たす役割は極めて大きいのです。
海外邦字紙は、当時の日系人の生活や日系社会を知る手掛かりになることから、国の内外における日本人移住者・日系人支援を担うJICAがその収集・保管を行う責務があると考えています。
2002年にJICAが横浜に開館した海外移住資料館では、常設展示や海外の日系移住資料館とのネットワーク強化に加え、散逸や劣化の著しい邦字紙など紙媒体資料の収集・補修・デジタル化を推進しています。こういった活動を通じて、日本人と日系移住者の軌跡を次世代へ繋ぐことにJICAとしても取り組んでいます。
ブラジルでは、JICAはブラジル日本移民史料館と協力し、邦字紙の紙面をデジタル化する取り組みを進めています。邦字紙はマイクロフィルムで保存されていますが、フィルムは劣化するためデジタル化が望ましく、また、マイクロフィルムでも保存されていない紙面をデジタル化する必要もあります。これらの活動のため、JICAより貸し出している大型スキャナーをご活用いただいていると承知しています。
また、JICAは、150年以上にわたる日本人の海外移住の歴史に対する理解と関心を高めることを目的に「JICA海外移住懸賞論文」を2019年に創設しました。第1回のテーマは「中南米地域の邦字新聞を活用した日本人移住に関する諸研究」とし、邦字紙の重要性に焦点をあてました。
JICA横浜の海外移住資料館は今年開館20周年を迎え、リニューアルを経て4月には再オープンします。横浜にお立ち寄りの際は新しくなった海外移住資料館をぜひ訪れていただきたいと思います。
今後の海外邦字紙は、日本に興味・関心を持ち集まってくる人、そしてブラジルや中南米地域に興味を持つ人たちをつなぐ役割を担う媒体としても期待されていると思います。ブラジル日報のホームページへのアクセスは約8割が日本を含むブラジル国外からのものと伺っています。ブラジル日報が、ブラジルをはじめ各国の日系社会発展に寄与し、ブラジルと日本、世界の日系社会をつなぐ懸け橋としてさらに発展されることを祈念しています。