パウリスタ大通りの老舗割烹「雅」や東洋街の「伴」などで腕をふるってきた日本食料理人の原口政信さんが、3月22日18時20分頃に聖市内の病院で肺炎の為亡くなった。行年68歳。
宮崎県出身。日本調理師協会公認の料理人として1979年に26歳で渡伯。サンパウロ市屈指の有名日本食レストラン「サントリー」で料理長として腕をふるった。その後、「雅」を共同経営し、「判」を立ち上げた。「判」は東洋街で本格的な和食を提供する店として定評を得ていたが、19年に店舗賃貸契約の都合で閉店。近年は、妻のマルガリータさんが経営する居酒屋「一茶」で調理を担当したり、息子・大庭ルシオさんが経営する居酒屋「松」の敷地内に新店舗を出店する計画を立てていた。
原口さんは、食道癌を患っており、20日に肺炎を発症し、入院したが容体が急変し、22日に亡くなった。23日10時よりビラアルピーナ墓地にて荼毘に付された。四十九日法要やお悔やみの会などの予定はまだ決まっていない。