上院が22日に「エンリー・ボレル法」という、子供の虐待や殺人を防ぐための法案を承認した。同法案は児童虐待への懲罰の厳格化や、14歳未満の子供が家族や雇用主、保護者などに殺された場合と、障害その他の病気で脆弱な立場にあった場合は殺人罪の中でもより重い罪に定めるという内容を含み、下院で再審議後に承認、裁可される見込みだ。
同法案の名前は、昨年3月に4歳で虐待死したエンリー・ボレル君を顕彰したものだ。ボレル君は養父(母の恋人との報道もある)で医師のリオ市議(当時)に殴打されて亡くなったが、その前から虐待を受けていた形跡がある。母親も保護責任を果たしていなかった事などで起訴され、裁判の最中だ。
こういった事件に接するたびに思う事は「親になる事」と「親である事」の違いだ。「親になる事」は妊娠や養子縁組で実現可能だが、「親である事」は子供への愛情や教育など多くのものを必要とする。
また、親であるためには、「育児は育自」と言うように親も子と共に成長するという意識を持つことが重要だ。親が子の「人生の先輩」であることは認めるが、親としての年数は子の年齢と同じだ。初子であれば親もわからないことだらけで子育てを通じて多くのことを学ぶはずだ。親の中には、大人の基準で物事を見、考えるだけで、幼い時にはどのように考え、感じていたかを忘れている人も多く、気を付けねばならない。
親子関係は職場などでの人間関係とも重なる部分があり、役割分担も必要だ。牧場でいえば、母親は牛を杭につなぐ綱で、父親は周りを囲む柵というように、各自の役割の理解や、どこまで自由に動けるようにするかを考える必要がある。
あえて言うなら、今ある親子関係は偶然でも当たり前のものでもないという事も理解しておくべきだろう。戦争や事故、病気、流産などで離別や死別を味わった親子は数え切れないし、願っても子供ができない家庭もあるからだ。今、共に生きている事はかけがえのない恵みと考えたら、子供の存在をないがしろにはできなくなるのではないだろうか。(み)