110ヘクタールの葡萄畑=ジュアゼイロの日系農家を訪ねて(2)=コチア事業で新天地開拓へ

葡萄選別所
葡萄選別所

 ブラジルにおけるドイ家の歴史は、マサルさんの父、故ドイ・シンジさん(富山県出身)から始まる。シンジさんは1931年(昭和6年)、11歳の時に家族で農業移住者として渡ってきた。当初はコチア産業組合に所属し、サンパウロ州ジェトリナ市でカフェ栽培や鶏の畜産、蚕の生糸作りなどに従事した。58年、シンジさんと故トミコさん(二世・サンパウロ州リンス市出身)の間にマサルさんが生まれた。
 マサルさんは歯科医のヒサコさん(三世・64歳・旧姓・ひらさわ)と結婚し、3人の子宝に恵まれた。
 1983年、コチア産業組合中央会が一大開拓事業「クラサ(CURACA)・プロジェクト」を立ち上げた。同プロジェクトは、農家の次男や三男など自分の土地を所有しない人や、開拓されきったサンパウロ州での農業に見切りをつけ、新天地ノルデステ(北東伯地方)に夢を託した人を対象に参加者が募集された。
 マサルさんは、妻のヒサコさんと三人の子供を連れて同プロジェクトに参加し、ジュアゼイロに移住した。3人の子供らはまだ幼く、長男は7歳、次男6歳、三男は生後4カ月だった。
 マサルさんは移住当初を振り返り「新天地を求めてジュアゼイロに来ましたが、電気も水道もシャワーもなく、家はバラック小屋でした。シャワーがないので近くの河が風呂代わり。妻や子供にも苦労させていたので、何が何でも成功しないといけないと思い頑張りました」と語る。
 ジュアゼイロには、ドイ家含む29家族が入植した。ドイ家は入植と同時にコチア産組が組織したジュアゼイロ農協組合(CAJ・COPERATIVA DE AGRICULTURA DE JUAZEIRO)に加盟した。
 当時からジュアゼイロにはヨーロッパやアメリカへの輸出販売用に果物を生産している日系農業団体が多くあった。CAJはその中でも中心的な存在であった。
 ドイ家は葡萄が収穫出来るまでの間、玉ねぎやトマトなど育成期間の短い野菜を栽培し、生計を立てた。
 2006年、マサルさんと息子らで「ファゼンダ・グローバル(Fazenda Global)」社を創業し、CAJから独立した。
 長男のマサヒロ代表取締役社長は、ブラジルの農学部でも有数の農業研究実績を持つヴィソーザ連邦大学(Universidade Federal de Viçosa)を卒業しており、創業当時から同大学で学んだ最新の農業方法を積極的に取り入れ、耕地面積を110ヘクタールまで拡大させていった。
 マサルさんは「息子たちが入社してからジュアゼイロでの葡萄栽培により適した方法がないかを研究しました。息子らのお陰で農園はより大きくなり、本当に感謝しています。そして何より家族仲むつまじく葡萄を育てる時間を持てていることが本当に幸せです」と述べた。
 マサヒロさんは、「どうやったらこのジュアゼイロの気候をより活用して葡萄畑を大きくできるか、おいしい葡萄が作れるかを考えてきました。しかし、今日の葡萄畑があるのは、祖父や両親が勇気ある決断をしてきてくれたお陰です。それを忘れず、これからも家族皆で葡萄作りに励んでいきます」と述べた。(淀貴彦記者、続く)

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