21日にサンパウロ訪問
7日、「日本はいずれ消滅するだろう」とツイッターに投稿して話題になったばかりの米電気自動車大手テスラのCEOイーロン・マスク。発言者が世界一の富豪だけに「あのマスクが日本消滅と発言」とばかりに大々的に報道された。
21日時点、彼のツイッターのフォロアー数は1億人近くいるだけに、その発言は世界を揺るがす。この記事を書き始めた21日午前8時には9436万人だったのが、翌22日10時には9456万人になっていた。わずか26時間で20万人のフォロアーが増える人物というのは世界広しといえども少ない。
そんなマスクが20日、サンパウロ州ポルト・フェリス市の高級ホテル・ファザノ・ボア・ビスタを訪れて「アマゾン接続」イベントに参加し、ボルソナロ大統領(PL)と会談した。「なぜ今マスクがブラジルに?」――これを今年10月のブラジル大統領選挙と関連付けて報道されることが大半だ。
なぜマスクがブラジルの選挙に関係するのかと言えば、マスクによるツイッター社株式の100%取得との買収提案を同社が受け入れたからだ。買収総額は440億ドル(約5兆6千億円)だが、もめて一時保留となっている。
だが、2019年4月時点でこのSNSを利用する世界のユーザー数は3億3千万人。つまり、世界人口78億人のうちのネットユーザーは約43億人なので、その12人に1人が利用するという超巨大メディアだ。
ブラジルは世界4位のツイッター利用者数を誇る国で、1月時点で1905万人がアカウントを持つ(https://valor.globo.com/empresas/noticia/2022/04/25/brasil-tem-a-quarta-maior-base-de-usurios-do-twitter-no-mundo.ghtml)。
ボルソナロの味方をしに来たのか?
18年のブラジル大統領選の決選投票でボルソナロが当選を決めた際の得票は、5779万7千票(約55%)だった。次点のフェルナンド・アダジ候補(PT)は4704万票(約45%)。そう考えれば、ツイッター利用者の1905万人という数字は大きい。
21日時点のツイッターにおけるボルソナロのフォロアーは807万人。ライバルであるルーラ(PT)のそれは353万人と水をあけている。どぶ板選挙を得意とする左派PTは、SNSなどネット選挙戦略で遅れをとっており、4年前はそこで差が出て負けた感が強い。4年経った現在もボルソナロのSNS戦略は図抜けている。
だが、20日に発表されたIpespe調査による大統領選支持率調査ではルーラが44%、ボルソナロが32%。カルタ・カピタル誌サイト20日付記事は《ボルソナロ大統領は1月から支持率が微増して追い上げてきたが、先週の調査から数字が停滞》と報じた。今のままではルーラがどの候補と決選投票想定実験をしても勝つ状態だ。
ボルソナロはこれから強力に追い上げないと選挙に負ける。そのためには支持層を喜ばすような話題を呼ぶ発言を毎週する必要がある。だが、大統領のツイッターでの過激発言はたびたび削除される目に遭っていた。
そんな時、マスクは「言論の自由を実現するためにツイッターを買収する」と主張している。この場合の「言論の自由」は右派寄りの意味合いが強いと推測される。
BBCブラジルも20日付記事《ブラジルのイーロン・マスク:なぜボルソナロ支持者は世界一の富豪の訪問を大歓迎するのか》(https://www.terra.com.br/noticias/brasil/elon-musk-no-brasil-por-que-visita-do-homem-mais-rico-do-mundo-foi-tao-celebrada-por-seguidores-de-bolsonaro,918fb225cbb36f38a26107ab3da441502c5vljwb.html)とその件を報じた。
大統領支持派のダニエル・シルヴェイラ下議は、最高裁判事の更迭や軍政令第5条(AI5)復活を扇動して、8年9カ月の実刑判決を受けた。4月、大統領が特別に恩赦を出してその刑罰を許したことで話題になった。大統領が最高裁判決に真っ向から立ち向かった形だ。
このように大統領支持者は常々「軍事クーデターを」とか、表現の自由を制限して反政府活動家の拘束・拷問を許した「軍政令第5条(AI5)を再び」などと主張することを「表現の自由」と言っている。それを司法が規制しようとすると、反発して「最高裁を閉鎖」とか叫ぶ状態だ。
だからマスクがツイッター社を買収して「表現の自由を実現」すると、ボルソナロの過激発言がツイッター上で削除されにくくなると歓迎している訳だ。
しかもブラジル訪問直前の19日、マスクは従来支持していた米民主党から共和党に乗り換えると宣言していた。トランプ前大統領(共和党)と懇意のボルソナロにとっては歓迎すべき流れの中での訪問だった。
本当の目的は何か、誰に会いに来たのか
カルタ・カピタル誌サイト20日付《ボルソナロは会談の詳細を明かさず、マスクとの了解は『恋愛の始まり』と言う》(https://www.cartacapital.com.br/politica/sem-detalhes-bolsonaro-diz-que-acordo-com-musk-e-o-inicio-de-um-namoro/)にあるように、あたかも大統領は政治的な意図でマスクが来伯したように示唆した。
だが今回、マスクがブラジルにいたのは実質6時間のみ。マスクは世界一流の事業家であり、ブラジルに来た主目的が政治的な応援やアマゾンの学校支援とは考えにくい。
そして《大統領とは僅かな会話、企業家との話を中心に》(https://epocanegocios.globo.com/Brasil/noticia/2022/05/epoca-negocios-musk-fala-pouco-com-presidente-e-muito-com-empresarios.html)などとも報じられた。
どんな企業家かと言えば、主に製薬会社や銀行家、ゼネコン、通信事業会社、大規模農業ビジネスの代表者らだ。結果的にフォーブス誌によるブラジル資産番付の上位者が大半を占めた。
例えば、ジェネリック薬品製造の4割を占めるEMS製薬会社等のカルロス・サンチェス社長、ゲデス経済相と関係が深いことで知られる投資銀行のアンドレ・エステベスBTGパクトゥアル社長(資産6位)、MRVエンジェニャリア社長でルーベンス・メニン(資産1位)、ショッピングセンター建設やホテル・ファザノグループを所有するJHSFグループのジョセ・アウリエモ・ネット代表など有名な企業家ばかりだ(https://www.brasildefato.com.br/2022/05/20/lista-de-empresarios-que-se-reunirao-com-elon-musk-indica-quais-sao-seus-interesses-no-brasil)。
今回のマスク来伯は表向きには、スターリンクの人工衛星を使ってアマゾン地方の遠隔地におけるネット接続を可能にし、1万9千もの僻地学校でブロードバンド利用を可能にするプロジェクトを発表に来たとされている。だがボルソナロが国際的批判を浴びるアマゾン環境破壊には一切触れなかったという。
マスクが率いるロケット開発をする民間宇宙産業SpaceX社は、将来的に最大4万2千機の人工衛星を打ち上げて、世界中にインターネットインフラを提供するスターリンク事業を手がけている。そのブラジルにおける手始めとして遠隔地の典型としてアマゾンが選ばれた格好だ。
マスクはウクライナ戦争にも首を突っ込み、ロシアの爆撃でネットが使えなくなったウクライナ国民にもスターリンクのサービスを提供していることは有名だ。
スターリンクのサービス価格帯は様々だが、一例は月110ドル(1万4067円)で500Mb/sの速度を提供すると言う。加えて専用ルーターなどの設備購入に約3千レアルが必要だ。
大手通信会社VIVO光ファイバー600Mb/sなら月4253円からある。スターリンクはかなり高価だ。だが光ファイバーが届かないような遠隔地でもその値段で接続できるのであれば利用者はいる。ただし、大農場主や自営業者などの限られた富裕層だ。
特にアマゾン地方の遠隔地には貧困層が多く、このサービスの消費者には向かない。だが自治体が契約して学校に使わせるなどの公的サービスのインフラならあり得る。その辺は国の支援があればありえるだろうが、そこは何の発表もない。
来年第1四半期までにスターリンクが使えるようになるのはサンパウロ州、リオ州、サンタカタリーナ州、パラナ州、ミナス州、南大河州などと報道された。明らかに大規模農家が多い地域と思われる。それ以外は23年第2四半期以降のようだ。
広大な面積を持つブラジルには辺境地が多く、全域に光ファイバーを敷設するには金がかかりすぎる。衛星によるネットサービスは必要だ。その周知のために来たのが今回のマスク来伯の主な理由のようだ。
5月にヴァーレとニッケル増産契約したテスラ
20日付エスタード紙ネット版記事《なぜマスクはブラジルに興味を持っているのか?》(https://link.estadao.com.br/noticias/empresas,por-que-elon-musk-esta-interessado-no-brasil,70004071838)によれば、この1月28日にスターリンク社は国家電気通信庁(Anatel)から2027年まで4400台分の営業許可を受けた。衛星ネット通信ビジネスの許可はブラジル初と報じられている。
その直前、昨年末の11月15日、訪米したファビオ・ファリア通信相はマスクと話し合っていた。同通信相は現政権親派SBTテレビ局のシルビオ・サントス社主の娘婿の立場だ。
その後、連邦政府が強烈なプレッシャーを同庁にかけるなどの便宜を図った経緯から、同大臣がマスクを今回招待して来伯が実現した。左派サイトのブラジル・デ・ファット紙はその圧力をかけた経緯に違法性があるのではと疑問視する記事を出してる(https://www.brasildefato.com.br/2022/03/16/governo-bolsonaro-interferiu-na-anatel-para-autorizar-empresa-de-elon-musk-no-brasil)。
マスクは南米左派からは元々要注意人物とみられていた。
と言うのも、2020年、この億万長者は得意のツイッターで、テスラがこの地域のリチウムを入手できるように、米国がボリビアでクーデターを起こすかもしれないと示唆し、国際的に大騒ぎになっていたからだ。前年に大統領選挙の不正疑惑で辞任してアルゼンチンに亡命していた左派エボ・ラモラエス元大統領の帰国を嫌っての投稿だった。
電気自動車の電池に使うリチウムの埋蔵量の70%はボリビアとアルゼンチンに集中している。だがその後、テスラ社のリチウムは中南米産ではなく、オーストラリア産であることを明かし、訂正したというオチまでついた。
今回の来伯の直前5月8日、ブルームバーグは「テスラ社がヴァーレと電池向けニッケル供給で提携」(https://www.bloomberglinea.com/br-pt/tesla-fecha-acordo-com-a-vale-para-fornecimento-de-niquel-para-baterias/)と報じた。ヴァーレはそのためにニッケル・クラス1の生産を今後3~4割も増産させると言う。
ちなみに今回20日(金)の会談でボルソナロ大統領は、マスクにブラジルのニオブを使って電池を作ることに関心はないかと持ちかけたが、「関心がない」とすげなく断られたと報じられている。ニオブの用途は9割がガスのパイプラインなどの高級構造用鋼鉄に用いられ、2番目の用途は超伝導体や電気部品などの超合金の生産であるとされる。
大統領は「テスラはこの鉱石を使って電池を作ることが実現できるように、さらに研究を進める必要がある」と語ったと報じられる。ブラジルは現在、世界最大のニオブ埋蔵量を誇っており、そのほとんどがアマゾナス州に位置している。
世界最先端の衛星ビジネスブラジル本社がサンパウロ市セントロ?
ちょっと驚いたのは、この事業を行うスターリンクのブラジル本社「Starlink Brazil Holding」が意外に身近なところに所在していたことだ。なんとサンパウロ市リベルダーデ区のお隣セントロ区のRua Líbero Badaróだ。
ブラジル証券市場B3の真裏と言えば聞こえは良いが、現在あの付近は浮浪者がたくさん寝ているような旧市街地区だ。世界一の富豪が世界最先端の衛星ビジネスを行う本社のイメージにはそぐわない。多国籍企業の多くが所在するサンパウロ市南部ファリア・リマ大通り辺りにあるのが普通だろう。
マスクがブラジルに接近する理由の本命は、マラニョン州アルカンタラにあるロケット発射センターの利用だと推測する声もある。ここは世界でも珍しくほぼ赤道付近にあるため、ロケットを打ち上げる際に衛星軌道まで近く、フロリダのNASA基地より燃料が少なくて済む。4万2千機を打ち上げるのであれば燃料費はバカにならない。
ボルソナロ政権はすでに同ロケット基地の民間利用を許可するシグナルを出している。大統領が2019年に訪米した際、時のトランプ大統領とその話もしたと報じられている。すでにVirgin Orbit、C6 Launch、HyperionやOrion Astなど4社から基地利用の打診が入っていると言う。
マスク来伯の後日談がこれから色々と出てきそうだ。(敬称略、深)