サントス強制退去=知念兄弟の伝え聞き(3)=心に焼き付いた父への尊敬

長男のジルベルトさん
長男のジルベルトさん

 1943年当時の祖父母、両親たちが受けたサントスからの強制退去について今回のインタビューに応えた知念兄弟は、当然ながら父母から伝え聞いた事柄しか分からず、強制退去時やプロミッソン時代の詳細事項などは不明点も多い。
 しかし、祖父母と両親が辿ってきた苦難の道のりについて、特に父親の保(やす)さんに対する尊敬の念は今も心に焼き付いている。「父は普段はおとなしく無口で、我々子供たちを怒ったり殴ったりしたことは一度もありませんでした。しかし、3人の妹たちが結婚した時にはいつも泣いていたほど、情熱家でもありました」とカルロスさんは生前の保さんのことを振り返る。
 また、保さんの人柄を表す一つのエピソードをカルロスさんが教えてくれた。それは、カルロスさんたちがフェイランテの仕事を手伝っていた当時、生産物を運ぶトラックがよく故障し、街の修理工にトラックを預けた時のこと。修理工が「部品を取り換えた」と言いながら、実は同じ部品を磨いただけで、交換していなかったことが後になって判明した。その時、父親の保さんは「(修理工の)彼らも生活に困っていると思うので、そのまま黙っておきなさい」と子供たちを制したという。

次男のカルロスさん
次男のカルロスさん

 長男のジルベルトさんは、ブラジル沖縄県人会が現在、ブラジル政府に「損害賠償を伴わない謝罪要求」を行っていることについて、「謝罪を求めるのは良いことだと思う。祖父母の苦労を今、身に沁みて感じており、決して忘れてはいけないこと。特に祖母(マツ)は沖縄に残してきた、(末娘の)よし子のことをいつも思っていた」と率直な気持ちを語る。
 一方、次男のカルロスさんは「謝罪要求には賛成だが、利己的な差別反対運動と見られないように気を付けなければならない」と忠告した。
 このことに対してブラジル沖縄県人移民研究塾の宮城代表は「沖縄県人会が行っているブラジル政府への謝罪要求は、スパイとして追放され、無実の罪を着せられた先人の名誉のための運動であり、人間の人権を抑圧した当時のブラジル政府に対する運動である」と強調している。(つづく、松本浩治記者)

 

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