特別寄稿=誰も書かなかった日伯音楽交流史=坂尾英矩=12=トム・ジョビンに歓待された日本のロス・インディオス

初訪伯時代のロス・インディオス(提供 小澤音楽事務所)

 1962年にラテン音楽を主とするバンドとして発足したロス・インディオス(以下、ロスインと略)は、ロマンチック歌謡曲で数々のヒットを飛ばし、現在まで60年間も続いている希少なグループである。
 1970年にブラジルの日系社会でもロスインのヒット曲を歌うファンが増えたので、日系ラジオ局サント・アマーロ放送の奥原社長が招へいすることになった。
 それに先駆けてロスインのマネージャーである小澤音楽事務所の小澤社長から私に国際電話がかかってきた。まだインターネットも自動ダイヤルも無かった時代だから早朝の呼び出しは何かと驚いた。
 「ロスイン・ブラジル公演が決定してメンバーたちがトム・ジョビンに是非とも会いたいと言っている。君はジョビンさんの友人だと聞いたので、何とかアレンジ願えないか」という依頼だった。
 私はトムとは音楽上の関係ではなく、飲み助同志という間柄だったから頼むのは簡単だが、ただ会いたいだけでは動機が物足りない感じだった。だから、私はトムに「日本であなたの曲を主に演奏しているグループが来伯するので一晩飲み交わしたいと頼んでいるが」と切り出したら、私の戦略が利いて二つ返事でOKとなった。
 サンパウロでの公演が成功に終わり、小澤社長が全員に「リオの休日」を打ち上げ慰労としてくれた。ジョビンから指定のアントニオズという高級レストランで夜8時にアポイントメントが決った。メンバーたちは時間に遅れないようにそわそわしていたので、私は「カリオカの8時は9時だから大丈夫」なんて言って、8時10分前にレストランに到着したら、トムは白髪の老人ともうかなりメートルを上げていたのである。
 この老人はブラジルで名高いディ・カヴァルカンテ画伯だった。トムは「何でも好きなものを注文しなさい」と言ってから「もうブラジルのビールを試したかい?」と笑った。
 トムが「君たちのヒット曲を聞かせてくれ」と頼むので、ロスインは三部コーラスをアカペラで歌い始めると、驚いた事にはトムにとって未知の曲なのに彼はハーモニーを四部にしてハミングで一緒に歌ったのである。トムの和音のセンスは「楽聖」の名にふさわしい才能だった。

上機嫌のジョビンがまさかのコメントで大爆笑

 ジョビン師匠が杯を重ねて上機嫌に話がはずんできたところ、棚橋バンドマスターが私に「ちょっとマエストロに聞きたいことがあるので通訳してください」と言って、「最近ロックとエレギ(エレキギター)の影響でグループサウンズと呼ばれる若者のバンドが世界中で乱立していますが、あなたはどう思われますか?」と質問した。
 これに対する返答を誰も記録しなかったのは実に残念至極であった。当時は携帯など無く、私はカメラを持参していたが通訳に追われてシャッターをかまえる余裕がなかった。
 世界的な作曲家は真面目な顔になって即時に「プニェータだよ」と大きな声で答えたのである。「プニェータ」という俗語はマスターベーションの意味だが、私が通訳に戸惑っているのを見たトムは、さっと立ち上がってジェスチュアをしたのだ。これには画伯も周りにいたボーイさんたちも大笑いしてしまった。
 当時のブラジルではボサノーヴァはとっくに消えてしまい、ロックと電気楽器の普及でベテラン音楽家たちは仕事場を失って転職か海外移住していた暗黒時代だったから、トムは積もっていたうっぷんを晴らしたのであろう。彼がマスコミ紙上で「空港はミュージシャンの出口だ」と言ったご時勢だったのである。
 楽しい会食が終わって白村マネージャーが勘定を払う段になったら、レストランの店長が「今夜はマエストロ・ジョビンのつけです」と言ったので白村氏は「えっ!」と驚き声を上げてしまった。イパネマの有名レストランで8人が飲み食い放題すればかなりの高額だから無理もない。
 サンパウロへ帰ってから評論家のズーザ・オーメン・デ・メーロにこの話をしたら、彼は「奇跡だね。ジョビンはマン・デ・ヴァッカ(財布をなかなか開けない人)だからね」と笑った。後に、最初のジョビン夫人テレーザさんの話によると、トムが外国からの初対面のグループを歓待しておごるなんて初めてだったそうである。

世界巡航クルーズ船で「知りすぎたのね…」

 2012年度日本郵船「飛鳥ワールド・クルーズ」で、私はサンパウロ州のサンバ大使オズワルディーニョ・ダ・クイッカのショーを演出した。歌手のラファエラ・ラランジャが「日本船だから日本の曲を一曲歌いたい」と言うので、私は手元にあったロスイン・ヒット曲集のレコードをかけ、「歌いたい曲はあるか」と聞かせたら、彼女は『知りすぎたのね』を選んだのである。

歌手ラファエラとつのだ・ひろ(提供 アスカ フォト ショップ)

 乗船前はお互いに忙しくてリハーサルできなかったので、航海の最初の晩にラファエラの声に合う調で譜面を書いて渡したら、伴奏者である7弦ギター名手ルイジーニョ先生と一晩の練習できれいに仕上げてしまった。二人の音楽的センスが良いので、私は発音を少し直すだけで良かった。
 船客は高齢者が多かったせいか、コンサートで最初のフレーズ「知りすぎたのね・・・」と歌い出した途端に大きな拍手が沸いた。アナウンスをしていたエンターテイメント部のハワイ日系2世ボッブ・ディレクターは「日本語上手だね」とほめていたし、ラファエラもエンターテイナーとして乗船していた、つのだ・ひろさんがほめてくれたと喜んでいた。
 私にとっては事務長が「ロスインのヒット曲ですね」と言ったのが忘れられない。
 これから先もロス・インディオスの益々の発展を期待する次第である。

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