6月18日はブラジル国家が定めた「日本人移民の日」です。そして、私たち日本人移民の子孫にとってはとても大切な記念日です。
今から114年前の1908年のこの日、初めての日本人移民がサントス港に到着しました。笠戸丸がサントス海峡に差し掛かった時、花火の音が聞こえ、ブラジル人が私たち移民を歓迎してくれていると思ったと伝え聞いています。
翌日、下船した移民は、現在、移民博物館になっているサンパウロ市ブラス地区の移民収容所に運ばれ、そこで、健康診断や移民契約などを済ませ、それぞれの配耕地に向かいました。
ここから、すべての移民のブラジルでの旅が始まりました。彼らはコーヒー農園で契約農として働き、異なる言語、食べ物、調理法、気候などに直面し、故国への想いを強くしました。
やがて、第2次世界大戦が勃発し、ブラジルと日本は敵対することになり、日本人移民はブラジルの敵性国民として扱われ、移民子弟は、文化、生活習慣、食生活の違いなどからいじめや差別にあい、社会生活において多くの苦難を味わうことになりました。
そのため、77年前にあたる当時の移民子弟はブラジルの文化や食習慣を自らが身につけ、ブラジル人になりたいと願い、日本文化や日本から距離を置くようになりました。
このような歴史をたどり、114年が経過した現在はどうでしょうか。ブラジル国民の記念日である「日本人移民の日」に、先達やその子孫が尊厳や存在感を保ち、敬意や秩序を大切にし、研究(調査)、文化、教育、知識の適応性や価値づけなどを持って、ブラジル社会の建設と発展に貢献、寄与したことを深く刻印したいと願います。
日本人移民の先駆者が私たちに残してくれた足跡に感謝し、この繁栄するブラジル社会の一員であることを誇りに思います。
この願いを持って、県連では日本文化や郷土食を広める「フェスチバルドジャポン(日本祭り)」(7月15、16、17日)を実施し、同時にサントス日本移民上陸記念碑、開拓先没者慰霊碑を建立・管理し、日本人移民の歴史や日本文化を後世に伝える努力を続けています。
最後に、移民を送り出した母県と密接な交流を続けている47の都道府県を代表して、すべての皆様の健康と平和を願い、私のメッセージとさせていただきます。