10月に行われる大統領選は、ブラジルの今後の行方を左右するものとして大いに注目されている。6月までの現状ではルーラ元大統領(労働者党・PT)の支持が圧倒的で、13年ぶりの政権復帰があり得る状況になってきている。ボルソナロ大統領(自由党・PL)としてはなんとか巻き返したいところだが、正直なところ、状況は厳しいと言わざるをえない。その理由としてもっとも気になるところは、ボウソナロ氏だけでなく、彼を支える保守派政治家たちへの支持そのものが弱まっていることだ。そのことについて検証する。
失われた「ラヴァ・ジャット」の後ろ盾
2018年の大統領選でボルソナロ氏が勝利できた背景には、10月を超えてからの急激な伸びだ。その背景には二つのことがあると当時から指摘されていた。
ひとつはワッツアップで大量に流されたという、ルーラ氏の後継候補のフェルナンド・ハダジ氏に対しての中傷。
そしてもうひとつが、時のラヴァ・ジャット作戦担当のセルジオ・モロ・パラナ州連邦判事が許可を出した、PT政権時代の経済相、官房長官を歴任したアントニオ・パロッシ氏が暴露したルーラ氏の新たな不正疑惑(結局、その後、論証されず)だ。
これらが保守派の反PT感情を盛り上げ、9月に刺傷事件にあったボルソナロ氏にたいする同情票へと転化したのだった。
それほどまでに、ラヴァ・ジャット(以下LJ)作戦の存在は、反PT感情を抱く人たちにとって、ひとつの判断基準の拠り所となっていた。あの当時はまだLJといえば「ブラジル史上最大の政治犯罪を暴く正義」との社会通念があり、そちらに近いボルソナロ氏こそが正しいと思う人も少なくなかった。
だが、もはやそのラヴァ・ジャットの威光が完全に失われてしまっている。2019年の「ヴァザ・ジャット報道」で、モロ判事とデウタン・ダラグノル主任をはじめとするパラナ州連邦検察局の癒着疑惑、デウタン氏がルーラ氏の容疑をペトロブラスとの関係性に自信がないまま無理やりにLJ作戦に関連付けた疑惑、ゼネコンの社長にルーラ氏が不利になる証言を無理強いしていた疑惑などが発覚した。
結果、18年の選挙時には監獄にいたルーラ氏は釈放。さらに最高裁決定でルーラ氏のLJでの裁判はすべて無効にされた。これは、ルーラ氏の人気復活と、同氏への反感感情を和らげる結果となった。さらにいえば、LJの捜査自体が急速に弱体化し、機能しなくなってもいた。
モロ氏は昨年後半から本格的に大統領選に出馬すべく準備を進め、人生ではじめて政党にも入った。だが、ルーラ氏に有罪判決を出した過去を持ちながらボルソナロ政権の法相を引き受けただけでも物議を醸したのに、判事時代に「政界入りなど断じてしない」と言っておきながら保守政党「ポデモス」へ入党したのは、「やはり判事として中立ではなかったのでは」と思われる要因となった。
さらにモロ氏は、法相時代にボルソナロ氏と対立したことで、熱心な大統領支持者と敵対関係となってしまった。そうしたことから、支持率調査で10%を超えないという、予想を下回る人気となった。
さらに悪いことにモロ氏は「移籍すればもっと大きい連立母体の候補になれる」と、パラナ州判事時代から目をかけてもらっていたポデモス党創設者の恩人アルヴァロ・ジアス氏を裏切り、ウニオンに電撃移籍。だが、ウニオンの内部の反モロ派の勢力に押し切られ、大統領候補を断念せざるをえなくなった。こうしたお粗末さが世間のLJへの幻滅をさらに強めてしまった。
人気保守候補の凋落と、過激派の自滅
18年の選挙で人気者となった保守派はボルソナロ氏だけではない。それは2016年にジウマ大統領の罷免を呼びかけた保守系政治団体のメンバーや、ネット上で過激な発言で人気を得た政治系ユーチューバーも同様だった。下議選、州議選ではそうした候補が人気を独占していた。だが、それも過去のものとなっている。
ボルソナロ派政治家では、ダニエル・シルヴェイラ下議が象徴的存在だ。同下議は2018年10月、同年3月に暗殺された、左派内部でカリスマ的人気も誇っていた女性黒人元市議マリエレ・フランコ氏の記念プレートを選挙演説壇上で叩き割ったことで悪名を高めたが当選。
下議就任後も、学校への不法侵入、所属政党でのスパイ行為疑惑など、大統領派きっての問題児として知られたが、昨年、最高裁判事全員の更迭を動画で叫んだことから現行犯逮捕され、半年以上の長期間勾留された。これで有罪となり向こう8年間の選挙出馬を禁じられた。
ボルソナロ派の政治家たちは、その多くが極右思想家オラーヴォ・デ・カルヴァーリョ氏の薫陶を受けている。一時は連邦政府の大臣にまでこの勢力が猛威をふるってもいたが、中国批判やコロナ軽視などの問題発言を繰り返すうちに国民の大多数の反感を買い、人気を落とした。
彼らはさらに「フェイクニュース(虚報)」を拡散した容疑で最高裁から捜査対象にもなった。そこに追い討ちをかけてオラーヴォ氏自身がコロナで逝去。推進力を失ってしまっている。
また、ジウマ大統領罷免の呼びかけで有名となった政治団体「ブラジル自由運動」も、直接的にボルソナロ派ではないものの勢いを落としている。サンパウロ州議3位で当選した政治ユーチューバー出身のアルトゥール・ド・ヴァル氏は、ロシア侵略で国が危機にあるウクライナの女性を「貧しいから尻軽」と発言。国際問題となり罷免された。
同じくリーダー格のキム・カタギリ下議も「ドイツがナチスを法律で禁じたのは間違いだ」と発言し大問題となった。
他にも、ジウマ大統領罷免請求の作者として有名になった弁護士でサンパウロ州議でトップ当選したジャナイーナ・パスコアル氏は、州議任期中にフェミニズムや路上生活者を批判する発言で物議を醸した。彼女は現在、大統領の前党・社会自由党(PSL)、かつての大統領選の異色泡沫候補で知られテレビ討論会で同性愛者差別で有名になった故レヴィ・フィデリックス氏の零細政党・ブラジル労働刷新党(PRTB)に移籍したことでも驚かれた。
また、かつてはボルソナロ氏を熱心に支持し、シルヴェイラ氏のマリエレ氏のプレート割の際に同じ演壇に立っていたウィルソン・ヴィッツェル・リオ州知事はコロナ対策の不正を問われ罷免された。
18年のサンパウロ州知事選の際、「ボルソドリア」と、自身の党に大統領候補がいたにもかかわらず他党のボルソナロ氏の投票者に自分に投票することを呼びかけ顰蹙を買いながらも当選したジョアン・ドリア前サンパウロ州知事は、今回の大統領選で民主社会党(PSDB)の大統領候補に一旦選ばれるも、内部からの根強い抵抗を振り切れず、結局辞退するはめにもなっている。
そして前回選挙でボルソナロ氏を迎えたことで下院第1党となったもののボルソナロ氏のPL移籍に伴い大量に党員を失ったPSL前党首のルシアノ・ビバール氏は、新党ウニオンの党首となり大統領候補となったが支持率は1%を切っている。
国際的にも逆風の保守路線
またブラジル内部だけではなく、国際的にも保守、極右には逆風が吹いている状況だ。2018年のときは、ベネズエラでの急進左派のマドゥーロ政権の独裁化、ラヴァ・ジャット作戦の南米拡大などで左派に風当たりが強くなっていたが、その状況が一変している。
アルゼンチンでは同国きっての大物企業家だったマウルシオ・マクリ氏の政権が一期で終わり、同国で伝統的な左派ポピュリズム政権に戻った。
ボリビアでは、長期政権だったエヴォ・モラレス氏が選挙不正を働いたとして極右勢力が左派や先住民を襲う反乱が起き、エヴォ氏が国外亡命。その勢力は1年間暫定政権を敷いたがこれが不評。結局、次の選挙で国民は、エヴォ氏の後継大統領による左派政権の復帰を望んだ。
ペルーやチリでは、急進左派対極右寄り保守候補との決選投票となった結果、急進左派候補がともに大統領に当選した。
そして19日に決選投票が行われるコロンビアの大統領選でも、左派候補のグスターヴォ・ペトロ氏が、保守政党が大統領を独占し続けた同国の伝統を破ることが有力視されている。
南米だけではない。ボルソナロ氏が「3国極右同盟」を求めていた米国のトランプ大統領、イスラエルのネタニヤフ首相が相次いで退陣。フランスでは、欧州きっての反ボルソナロ派のマクロン大統領が欧州極右の大物マリーヌ・ルペン氏を破って大統領選で再選。ドイツでもルーラ氏と深い親交で知られる社会民主党が16年ぶりに政権奪還を果たしている。
ボルソナロに巻き返しの可能性は?
こうしてみると、ボルソナロ氏を追い込んでいるのが、60万人以上の死者を出したコロナ対策の失敗や年間で10%を超えているインフレ、最高裁を攻撃する反民主主義的行為だけでないことはわかるだろう。ネット上での陰謀論や歴史修正主義で勢力をつけてきた極右的ポピュリズムそのものが壁に直面していることが否めない。
こうした中、ボルソナロ氏が巻き返しを図るとしたら何なのか。PT政権の「ボルサ・ファミリア」を改名し支給額を上げた福祉政策「アウシリオ・ブラジル」の受給者でボルソナロ氏を評価する人は国民の20%しかいない。2022年の国内総生産(GDP)の見込みも微増程度。高騰する燃料代を抑えたところでそこまで投票者が増えるとも思えない。
狙うとすればルーラ氏のマイナス要素だが、フェイクニュース拡散が厳しくなっている現状では2018年ほど容易ではない。
ボルソナロ氏は投票集計の不正を疑い続けているが、そのやり方も接戦なら有効かもしれないが、5月末の世論調査ではルーラ氏の支持率が過半数に迫る勢いで、一時投票で圧勝の可能性まで出てきている。それでは不正だといくら叫んだところで説得力がない。まずは支持率を着実に上げるところから始めないとならないが、果たしてどうなるか。(陽)