ブラジル日本文化福祉協会(文協、石川レナト会長)は19日午前、白寿者表彰式典をサンパウロ市の文協ビル大講堂で、2019年以来3年ぶりに対面開催した。表彰該当者は44人。うち本人出席が23人、代理出席が14人、欠席が7人だった。本人出席は例年20人以下だったが、今年は車椅子の5人以外は、自分の足で移動するなど、元気な99歳が増えたことを印象付ける式典となった。式典には表彰者家族ら200人以上が参加した。
平田オストンさんの司会により、まず主催の石川会長が「本人だけでなく、日々世話をする家族も祝福したい」と祝いの言葉を述べ、在サンパウロ総領事館の山内隆弘(たけひろ)領事部長も「今の日伯両国の相互信頼の高さは皆さんのご活躍によるもの」と称賛した。
各人に表彰状とお祝いの品が渡された後、白寿者を代表して梅崎嘉明さんがマイク前に立ち、「ここにいる皆さんは、日系社会の色々な分野で活躍された方々であることが、お顔から伺われます。ここにいる天祐を、皆さんと一緒に喜びたい」と感謝した。
式典後、本紙の取材に対して花岡ツルエさん(99歳、熊本県)は「うれしいです。長生きしてよかった」とほほ笑んだ。印象深い幼少時の思い出を尋ねると、「12歳でブラジルに来て2年後、父が井戸の穴掘りをしているのを手伝うためにバケツに入って穴の下までいき、底の泥をくみあげていて水が湧いたときはうれしかった」と活き活きと語った。
久場良喜さん(99歳、沖縄県沖縄市出身)は1941年1月に移住、戦後にクバ・バス会社の共同経営者になった。「戦争開始前、まだ17歳だったから移住が許されなかった。でもある軍人さんが書類を作ってくれ、なんとか移住できた。1981年に初めて訪日した際、その恩人を探してお礼を言った。彼は脳溢血を患っていたが、私のことは覚えていてくれたので、大変うれしかった」との経験を語った。
田畑正(ただす)さん(山口県)は4歳で渡伯、この4月に100歳を迎えていた。「戦前、15歳の時に汎リンス陸上大会の三段跳びで13メートル飛んで優勝したのがうれしかった。あの頃、49キロと痩せていたが相撲大会で負けたことなかったよ」と懐かしそうに大笑した。田畑さんはパンデミックの直前20年3月まで欠かさずゲートボールもしていたという。
中島エドアルド事務局長によれば、移民100周年(08年)の頃から表彰該当者は毎年約40人に増えたという。「元気なご本人が増えたので、家族もたくさん参加されるようになった。今回は本人の出席が記録的に多かった」と喜んだ。以下は、白寿者の氏名。
小椋島宏(岡山県)、カヨ・ミサエ(沖縄県)、中西シゲ子(広島県)、松下郁(かおる、東京都)、青木レオナルダ(サンパウロ)、梅崎嘉明(奈良県)、奥山孝太郎(山形県)、榊原真治(愛知県)、シライチ淺原アサヲ(福岡県)、久場良喜(りょうき、沖縄県)、野地元カズエ(広島県)、田畑正(ただす、山口県)、奈良岡ユキイ(北海道)、近藤篤司(とくじ、北海道)、菊池彦太(山形県)、上野ヨリ(福島県)、吉田春雄(福島県)、前田アキラ(熊本県)、渓君江(山口県)、平岡猛(愛知県)、加藤藤井ちゑ子(愛知県)、市川江坂そのえ(広島県)、三沢ミヨ(長野県)、有村須藤八重子(北海道)、米田カツヨ(熊本県)、工藤高橋すみ(山形県)、榊原高代(たかしろ)ヤヱ(鹿児島県)、花岡桑原ツルエ(熊本県)、堀田清子(きよこ、熊本県)、河村一郎(愛媛県)、東敏(ひがし・はやし、熊本県)、落合山根スミ(宮崎県)、山村保(山口県)、関本貞子(熊本県)、高野春男(山梨県)、国武芳子(和歌山県)、保科静江(東京都)、間所茂刈(まどころもがり)初江(山口県)、モリ美津代(東京都)、矢野真一(高知県)、東田信(まこと、兵庫県)、カワズ萬理子(長崎県)、西村ケイ(北海道)、河田(かわた)律子(沖縄県)。