堀江渚さん(本名、宮崎高子)がこの20年ほどの間に書きためた随筆などをまとめた作品集『幸せってなあに?』を3月にサンパウロ市で刊行した。文学仲間の村上敞子さんと広川和子さんと共に編集部を訪れた。
27頁には《四十五年程前、私は、向かいに洋画専門館が立ち並ぶ大都会のど真ん中から突然、ブラジルに移住した。水道の蛇口をひねるとザーと飲める水が出てくるのは当たり前という生活は、そこには無かった》という一節がある。
堀江さんは1940年7月に大阪市梅田の繁華街で生まれ育った。61年に、18歳年上の夫と二人でブラジル移住。
《収入はゼロに等しく、私は工場の下請けのワイシャツを縫ったり、露天市場で働いた。頼る人もなく、赤ん坊を手に最低の家を探してさまよった。貧しい黒人などのブラジル人に助けられて生き延びた。食料が底をつくと日本の親たちが送ってくれる書物や衣類等を封を切らないで売りに行った》(83頁)
68年から日本語教師をはじめ、日本の雑誌『婦人と生活』誌69年1月号に《新米教師の多言語論》が掲載された。
94年に日本語普及センターが主催した日本語教育研究の論文コンクールに『日本語の学習効率を高める教授法についての考察』を応募して入賞した。それを機に翌95年に日本語学校「構え学園」を創立し、より本腰を入れるようになった。
2016年、第33回武本文学賞を小説『奈津子の秋』で受賞するなど、活動の幅を広げた。
掲載された作品は、主に文章サークル「たちばな会」で発表されたもの。同サークルは広川さんを中心に2010年に創立。昨年末から第2水曜日に静岡県人会館に同志が集まって、お互いの文章を批評し合っている。堀江さん自身も以前、同サークル代表を務めていた。
2014年には、亡くなった母への想いを込めたエッセイも。《昨年、訪日し、自分が産まれた家で、兄から聞かされた言葉に私は、衝撃を受けた。「お母さんは、お前が乗った船が神戸港を離れ、見送りの人が一人もいなくなり、あたりが真っ暗になってからも、その岸壁に座り込んだまま立ち上がろうとはしなかったのだよ」……あれから半世紀。もし、今の自分にも「同じ事が起こったら」と考えるだけで恐ろしい。母の心が痛いほど判る。あふれる涙を飲み込んだ》。
広川さんは「安楽な暮らしから移住によって段違いな生活に。その強いショックが隅々に感じられる文章です」と評し、村上さんも「堀江さんの文章はたちばな会ではとても評価されています。ぜひお読みください。ボケ防止にもなりますので、文章に興味のある方はぜひご参加ください」と呼びかけた。
作品集に興味がある人は堀江さん(電話:11・98806・8425)まで連絡を。