我々のような在外日本語メディアは得てして、日本人にとって聞き心地の良い情報だけを選んで日本語にして伝えがちだが、現実のブラジルには目を覆いたくなるような記事やコラムも溢れている。
日本を代表する保守政治家である安倍晋三元首相の死に関し、同じ保守派のボルソナロ大統領が深い哀悼の意を示したのと同じ強さで、左派メディアの一部はその死をおとしめようとしているように見える。
例えばヴェージャ誌サイト7月8日付のヴィウマ・グラジンスキ氏(Vilma Gryzinski)のコラムでは、安倍氏を軍国主義的な政治家と位置づけ、彼の言動には常々アジア諸国から反発があり、その怨念があるから、《「〝祝賀会〟が始まります。中国で最も利用者の多いSNSでのメッセージは、15万件の「いいね!」を獲得しています。これには、日本帝国主義のアジア諸国の根深い感情が集約されています》と元首相の死を喜ぶ人たちがたくさんいるとの書き出しのコラムを発表した。
ブラジルで最多発行部数47万部を誇る週刊誌だから、たくさんの日系子孫も読んでいる。以下『安倍首相の複雑な戦争犯罪の記録は、死と結びついている/殺された元首相は、彼のいわゆる軍国主義的な立場に対する最も過激な敵によれば「戦争犯罪否定論」に結び付けられていたという』という見出しのそのコラムを仮訳した。
《〝祝賀会〟が始まります。中国で最も利用者の多いSNSでのメッセージは、15万件の「いいね!」を獲得しています。これには、日本帝国主義のアジア諸国の根深い感情が集約されています。20世紀初頭から1945年に米国に敗れるまで、言いようのない犯罪を繰り返していたのです。
中国は公式には、安倍晋三の暗殺がそれらの復讐として「記念」されることを望んでいません。日本に対する怒りは、上からの働きかけがなくても爆発することがあります。
日本が推定300万から1400万人の民間人を殺害した多くのアジア諸国では、安倍首相のような自民党の軍国主義的な政治家に対する怨念は、いまだ払拭されていません。
安倍首相は2020年9月、過敏性腸症候群で衰弱し、政権を退きました。だが政権を去った後も、犯罪に対する悔恨の念がないことを連想させる行為を続けました。天皇に代わって行った靖国神社参拝。そこには、約250万人の名前が記されています。100万人と数匹のペットが、国のために命を落としたのです。
その中には、1940年から1944年まで陸軍大臣兼首相を務めた東条英機など1068人の戦犯が含まれています。併合された中国領土での民間人の絶滅や、日本兵のために設置された売春宿での性奴隷としての少なくとも20万人の朝鮮女性の野蛮な虐待だけでなく、中国と朝鮮で行われた大量虐殺行為の主な責任者が含まれているのです》
というような書き出しのコラムが続く。もちろん、みなが元首相の功績を賞賛する必要はないし、いろいろな意見があるのは当然だ。だが、仮にも一国の元首相の死に対し、即座にこのような内容のコラムを発表するとは、あまりにも保守嫌悪が過ぎ、かつ歴史に対する理解が一方的で、しかも暴力的な内容だと唖然とした。
安倍元首相が亡くなったことは「アジア諸国で復讐としては喜ばれている」かのようなニュアンスをブラジル人に持たせる。これを読んだ三世、四世は日系社会からどんどん離れていくだろう。
どこの国のメディアも基本的に左派が中心なのは同じだろうが、この背景にはブラジル人一般の日本の歴史、特に近代史に関するに対する無理解もあるように思う。
ウィキペディアのポ語版と日本語版の違いに愕然
インターネット検索で物事を調べるのが日常になっている現在、ウィキペディア(以下、Wikiと略)などのネット辞典に書かれていることは非常に重要だ。そこで第一印象を得るからだ。
ポ語Wikiで「Crimes de guerra do Japão Imperial(日本帝国の戦争犯罪)」(https://pt.wikipedia.org/wiki/Crimes_de_guerra_do_Jap%C3%A3o_Imperial)を見ると、なんと1万1077文字もあった。
冒頭から《日帝戦争犯罪とは、日本帝国主義の時代に起きた戦争犯罪のことである。アジアン・ホロコースト(略)という表現もある。これらの残虐行為は、19世紀後半に大日本帝国軍によって行われたものもあるが、大部分は昭和初期から1945年に日本軍が敗北し、第2次世界大戦が終結するまでの間に行われたものである。(中略)日本政府は、自国の軍隊に行き過ぎた行為があったことを認めながらも、戦争犯罪に対する正式な謝罪をしたことはない》と書かれている。
「日中戦争はアジア版ホロコーストだ」と言う認識は、日本の歴史教科書にはないだろう。これは世界的に見て一般的な認識なのだろうかとクビをひねった。日本政府は正式な謝罪をしたことなく、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺と同等の大虐殺を日本軍がアジアでやったように表現されている。
ちなみにスペイン語Wiki「Crímenes de guerra del Imperio del Japón」は、安倍元首相の顔写真がないだけで、内容はポ語とほぼ同じだ。
ちなみに日本語Wiki「日本の戦争犯罪」項には、たった1633文字しか書かれていない。内容もまったく異なる。これはこれで、少なすぎで奇妙な感じだ。
安倍元首相に関するポ語記述はこれでいいのか
そこには延々と大戦中に日本軍がやったとされる戦争犯罪が詳しく書かれる。ずっと白黒の虐殺場面のいろいろな写真が掲載され、最後の方に、驚くことに安倍晋三元首相のカラー写真が出てきて、そのような歴史を否定して修正する政治家として紹介されている。
同Wiki項目には安倍元首相に関して、こう説明する。《公式の謝罪は、そのような犯罪の生存者や殺された犠牲者の家族の多くから、不十分であるか、象徴的な言い訳に過ぎないと広く見なされている。
2006年10月、安倍晋三首相が帝国主義時代の被害に対する謝罪を表明する中、日本の与党議員80人以上が靖国神社に参拝した。帝国軍の戦争犯罪によって被害を受けた多くの人々も、特定の行為について謝罪が表明されていないこと、または日本政府は単に「遺憾の意」や「反省」を表明しただけであると主張している。
2007年3月2日、安倍首相はこの問題を再び提起し、第2次世界大戦中に軍が女性を性奴隷に強制したことを否定し、「強制があったことを証明する証拠がないのが実情だ」と述べた》
これらWikiの記述を読んで、件のヴェージャ誌のブラジル人ジャーナリストと同じ論調だと感じた。だから、冒頭のようなコラムを書くだと納得した。
ウィキペディアはその特性として、言語によってそれぞれの国の立場が書かれており、同じ項目でも内容はまったく異なる。日本語ではこう書いてあるからといって安心してはいけない。他の言語頁にそのまま翻訳されされる訳ではない。むしろ、言語が異なれば認識も別になる。
せっかく日本の歴史に興味を持った日系三世、四世、五世ら若い世代がネットを検索した時、このようなポルトガル語の記述を山盛り見つけたら、彼らは日本というルーツに対して胸を張れるだろうか。
中国側の見方を中心に伝える戦争史観?
ポ語Wiki「Segunda Guerra Sino-Japonesa(日中戦争)」を見ると、戦争名称に関してこう記述されている。
《中国では、この戦争は「日本侵略抵抗戦争」と呼ばれ、「日本侵略抵抗」または「抵抗戦争」と略されるのが一般的である。また、「8年抵抗戦争」とも呼ばれてきたが、2017年に中国教育省は、1931年に遡る大日本帝国とのより広い対立に焦点を当てたことを反映して、教科書はこの戦争を「14年抵抗戦争」と呼ぶべきとの指示を出した。また、「世界反ファシスト戦争」の一部と呼ばれており、中国共産党と中華人民共和国政府による第2次世界大戦の捉え方であるとされている。
現在の日本では、「日中戦争」という名称の方が、客観的であると認識されているため、一般的に使われている。1937年7月、北京付近で本格的な中国侵略が始まったとき、日本政府は「北清事変」を使い、翌月の上海戦の勃発とともに「支那事変」に改めた》
中国側の主張が基本になって、〝おまけ〟として日本側の見方を付け加えている記述に見える。
「日本はアジアでホロコーストを起こした」という認識が、ポルトガル語で一般化していいのだろうか。これがポルトガル語、スペイン語で一般常識化してしまったら、どうなるか。
現在ロシアがウクライナに侵攻する際も「ネオナチ勢力を叩くため」と主張している。万が一、中国が今後、日本に侵攻してきても「日本のファシスト勢力を叩く」と言い、それが世界で通用してしまうのではないかと恐ろしくなる。
ポ語での日本の歴史発信が少なすぎる現実
これらの根幹にあるのは、日本の歴史に関するポルトガル語の適当な本がないことだ。検索して見つかったのは唯一『História do Japão』(Kenneth Henshall著、Edições 70、2008年)。英国人が書いたものをポ語訳出版したものだ。
日本の日本人が読んでもすんなり納得できる内容の日本の歴史の本が、ブラジルでポ語翻訳して出版されることが心から望まれる。
Wikiの記述は論争がつきものだ。その記述が偏っていたり、誤解があるのを見つけたときは、異議を提示して表現を訂正することを求めることができる。おそらく現状のポ語やスペイン語のWikiは、偏った見方で書かれたものが、そのまま放置されている状態ではないか。「異議を申し立てない方が悪い」のが西洋世界の常識だ。
反論を申し立てる際、その論拠となるポ語論文やポ語書籍を提示する必要があるが、日本の近代史に関するそのような論文や書籍はほぼ見当たらない。日本で現在一般化されているような日本近代史を研究する論文が、もっとたくさん発表されるような学術環境を作るべきだ。
ネットの世界は、りっぱな「情報戦」の主戦場だ。日本はネット世界に一兵卒すら送っていないが、日本の印象を悪くしたいと考える特定の勢力は、とっくに超近代化装備を誇る大隊を派遣して積極的に陣地を広げている状況ではないか。
ネット上の歴史認識や見方を一方に引き寄せるような書き方を一般化させることで、一般人の歴史観や見方が徐々に変わってくる。おそらく中国やロシアはとんでもない資金と人材を投入して現地人のサポーターを育て、南米におけるイメージの優位性を築くために情報戦を仕掛けているのではないか。
南米においては日本移民が100年がかりで土にまみれて現地住民と協力して建国してきた歴史がある。だから、現在のところ、日本や日本人に対するイメージも良好なところが多い。だが、「千丈の堤も蟻の一穴より崩れる」だ。日本が情報戦に敗れ続ければ、いずれ印象は上書きされてしまう。
ネット上での情報戦対策を弔い合戦に
日本が本格的な諜報機関を作るという議論があると聞くが、まずは基礎の基礎として、海外で日本の近代史がどのように外国語で書かれているかを調べて欲しい。問題のある書かれ方をしているなら、ビシッと異議を申し立て、修正するための作戦を練り、しっかりと対処して欲しい。
そのような情報戦対策を進めることは、外交に強い才能を発揮した故安倍元首相も、草葉の陰で大いに賛同することではないか。弔い合戦として、日本政府は強力に進めて欲しい。
これらのポ語Wikiのデリケートな項目の経歴を見ると、その多くが日本移民百周年を祝った2008年前後に始まっていることに気付き、愕然とした。
もしかしたら、我々日系社会が「ブラジル社会が一体となって百周年を祝ってくれている」と脳天気に喜んでいた裏で、10年、20年がかりの情報操作が始まっていたのかもしれない。(深)