訃報=PT創立者の一人で日毎営業部長=元学生活動家の中林順さん

中林順さん
中林順さん

 日伯毎日新聞の創立者・中林敏彦さんの次男で、労働者党(PT)創立者の一人でもある中林順(じゅん)さん(2世)が、5日夜10時ごろサンパウロ市のサンタマジョーレ病院で多臓器ガンのため亡くなった。行年76歳。葬儀は6日にサンカエターノ・ド・スル市のオッセル葬儀場で行われ、火葬された。
 初七日ミサは12日(金)18時から聖市西部のカペラ・ダ・プッキ(Capela da PUC-SP Rua Monte Alegre, 948 – Perdizes)で行われる。遺骨はアラサ墓地の中林家の墓に納められる予定。
 順さんは1946年1月13日、日伯毎日新聞社の中林社長の5人兄弟の末っ子として、ノロエステ地方アラサツーバ近郊のビラッキで生まれた。
 1964年の軍事クーデターに疑問を感じ、66年にサンパウロ市のマッケンジー大学社会学部に進学する傍ら、UNE(全国学生連合)にも所属し、リーダー格になった。
 1968年にサンパウロ州イビウナ市の農場で密かに開催された反政府学生集会に参加して、社会政治警察(DOPS)に逮捕された。
 「都市ゲリラの教祖」と言われた革命家カルロス・マリゲーラのALN(民族解放行動)活動に身を投じ、軍事政権に追われる身となった。キューバで軍事訓練を行うために出国する前日、仲間の左翼運動家と一緒にいるところを取り押さえられた。
 人身保護請求によって釈放され、ウルグアイ、アルゼンチン、チリに亡命。この時に社会学を学んだ。73年にチリで軍事クーデターが起きたことで東ドイツに再亡命し、同地で社会学の博士課程を修了し、大学教員などを務めた。
 79年にブラジルで恩赦令が出ることが分かり、78年に帰国。80年のPT結党に加わり、創立者の一人となった。その後、PTの政治活動を支える傍ら、父を手伝って日伯毎日新聞社の営業部長も一時務めた。社会学を修めた関係から、聖州都市計画公社(EMPLASA)に就職し、専門家として働いた。

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