それ以前から同僚の谷脇さんが「慧さん、森田さんの長女の幸子さんを嫁にくれると、あんたはこの農場の中継ぎ養子になるのにネ」などと私をひやかしたものであるけれど、実際、私はまずその気は余りなかった。もし仮に私がその気があるにしても、パトロンの森田さんの頭の中には自分の娘の婿候補に私は第二候補以下に考えられていたのではと感じていた。五才の年齢差と背が低く、くそまじめの他県人の青年よりも他にもっと背の高い高知県出身の美男子の働き者を探している様に感じたのであった。この様な話しもあった。おなじ区内に高知県出身の西村さんが農場を持っていて、そこで働く山下さんに年頃の娘さんがいるので、その娘さんを慧さんの嫁にくれんだろうか、と森田さんと西村さんが勝手に相談していたそうだ。森田さんから私にこの相談が正式にもちかけられた。でも私は知らない女性であるし、付き合う気持ちも湧いて来なかった。森田さんは私の事を心配して、いろいろ気を使ってくれたのに悪い気がしたけど断った。
又、こう言う話もあった。谷脇さんが「近々、俺の叔父の家族が高知県の葉山村から移住して来る。その家族に年頃もちょうどの娘さんがいるので何だったら紹介してやってもいいぜ」と言ってくれたものだ。でも友の好意もありがたいけど、やはりふるさとの事が気になっていた。ふるさとを発つ頃に知っていた二~三人の娘達の事が頭をよぎった。
ともかく、日本の母に手紙を書いてみよう。誰かを紹介してくれるだろう。一九五九年の一月か二月頃だっただろうか。母へ手紙を出した。そうしたら余り日数を置かず、母からの返事が届いた。分厚い手紙であった。二枚の写真が入っていた。体のがっちりと健康そうな娘の笑顔が写真にあった。でもどこかで見た様な顔だと思った。手紙を開いた。実に達筆な字で「私は美人には程遠い存在ですけど、あなたの妻になります。父母や親戚一同、皆賛成してくれたのです」と言う文面であった。