連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第34話

 それでもまだ少しの余裕が出来たので、ブーロ(驢馬)一頭と消毒ボンバ(ポンプ)を買った。これで次の8月に植え付ける作は面積も一アルケールと倍になるけど、水汲みや消毒の仕事が楽になるだろう。
 一応これだけ揃えたらもう金はない。種芋は自分のものだけど肥料と農薬と生活費を又組合から借りることにした。芋堀の頃、美佐子は大きなお腹を抱えてそれでも大きなかごにバタタを山盛り入れてそれを袋に移し入れる。本当にがんばり屋であった。一度だったか、妊娠初期、つわりがひどく、動けなくなった事があった。そんな時、森田のママイが手伝いに来てくれた。私は地鶏をつぶして、鍋でぐつぐつと長く炊くといいダシがとれて、美佐子はそれだったら良く食べてくれた。みな、ママイが教えてくれた。

    長女、瑠璃子の誕生

 芋堀も終わってホッとした頃、その日は六月六日だった。
 美佐子が産気づいた、それ以前にサンロッケの町の助産婦さんにお産をお願いをしておいたので、ただ通知をすれば来てくれることになっていた。夕食後、どうもそんな気配がすると言う。段々と陣痛が頻繁になり、真夜中を過ぎる頃、私は地下足袋をはいて、六㌔の夜道をサンロッケの町へ急いだ。産婆さんに通知をして、すぐ近くのタクシーをやとい、我が家へ急行した。産婆さんが着いたらすぐに破水した。逆子であった。中々出て来ない。産婆さんが祈り始めた。私は心配になった。これはまさかと思った。長い時間に思われた。やがて赤ん坊の足が現れ、何とか引っ張り出すことが出来た。泣かないので、産婆さんは背中を手の平でポンポンとたたいた。やっと泣き声を出した。あー、よかったぁー。やっと安心した。
女の子であった。一九六〇年六月七日の生まれで、黒木瑠璃子と名づけた。
 美佐子もすぐ元気を取り戻し、赤ん坊も順調に発育していった。
 日毎に可愛さが増して、我が家は賑やかになった。そんな或る日、森田のママイが「近くに住むパリシオと言うブラジル人夫婦に、この赤ん坊をバチズモ(洗礼)してもらったらいいよ」と言ってくれた。こんなバチズモはなるべく早い方が良い、早く神の子になるから、と言うことで、まだ二ヶ月位なのに、洗礼を受けることになった。隣町のマイリンケの教会の神父さんに洗礼してもらった。洗礼名はマリー・リスである。パドリンニョ(代父)とマドリンニャ(代母)はパリシオ夫婦である。当時パリシオの兄のリーノ・デ・マットスはサンパウロ市の市長であった。リーノ・デ・マットスは森田さんの長男、武雄のパドリンニョであった。

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