津軽三味線で会場盛り上げる=日本語流暢な非日系のマテウスさん

熟年クラブ連合会の地蔵祭りで津軽三味線の演奏を行うマテウスさん(8月19日撮影)
熟年クラブ連合会の地蔵祭りで津軽三味線の演奏を行うマテウスさん(8月19日撮影)

 ブラジル日系熟年クラブ連合会(辺原良子会長)が8月19日に開催した「第11回地蔵祭り」に、特別ゲストとして参加した津軽三味線奏者のマテウス・ビテンクウ・オリベイラさん(25歳)は、スピード感のある力強い演奏で会場を盛り上げ、参加者から喜ばれていた。非日系ながら流暢な日本語を話すマテウスさんに、津軽三味線を始めたきっかけや今後の活動などについて話を聞いた。
 マテウスさんは、サンパウロ州カウカイア・ド・アルト市に住み、11歳ほどの時、隣家の日系人家族が日本語を話すのを聞いて「何の言葉を話しているんだろう」と興味を持った。その後、12歳頃から独学でひらがなやカタカナを学び、やがて近隣のヴァルジェン・グランデ日本語学校に通うようになった。
 イタリア系ブラジル人の父親からは「ブラジルで日本語など習っても意味がない」と反対されたが、マテウスさんの日本語学習意欲は高まるばかりで、次第に日本文化や歴史、松村和子、長山洋子、吉幾三など日本の演歌も好んで聴くようになった。
 「学校の(ブラジル人の)友達は流行のブラジル音楽を聴くのが普通で、私が日本の演歌を聴いていると、『何を聴いているんだよ』と変な顔をされたりしました。しかし、私は演歌が本当に好きでした」とマテウスさんは学生時代を振り返って笑う。
 15歳の時にイビウーナ市の和太鼓チームに入った際、紹介されたのがタウバテ市に住む三味線奏者の海藤司さんだった。サンパウロ市リベルダーデ区で海藤さんの甥の赤堀雄三さんが津軽三味線の教室を開いていることを知り、16歳から津軽三味線と民謡を習いだした。
 赤堀さんの下で4年、津軽三味線の基本を習った後、新たな津軽三味線の世界を開こうと、「津軽三味線小山会」の演奏などを動画サイト「YOUTUBE」で見聞きしながら独自の活動を展開している。
 現在、地元のカウカイア・ド・アウト市で日本語教師をする一方で、ブラジル日本文化福祉協会主催の文化祭りや、ブラジル都道府県人会連合会主催の日本祭り、青森県人会のイベント等にも積極的に参加して、幅広く演奏活動を行っている。
 2018年には初めて日本を訪問し、約1カ月間滞在した。20年には再び訪日するつもりだったが、コロナ禍の影響で断念。「来年日本に行く予定です。その時は小山会の名取の試験を受けるつもりです」と抱負を語る。
 「津軽三味線は日本を代表する伝統的な音楽だと思います。今後は、伝統文化の中に西洋の歌を混ぜたり、新しい形の音楽も目指していきたい」と、さらなる意欲を見せていた。

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