日本育ち日系人への期待と現実=新人4世記者が聞く=第4回=日本語教室行きは辱めの罰?

岩本マサヒロさん

 京都外国語短期大学在学中の岩本マサヒロさん(20、4世)は、日系ブラジル人の母とブラジル人の父の元、サンパウロ市に生まれた。3歳の時に日本へ渡り、長野県で暮らした。
 幼少の頃、妹と共にブラジル人幼稚園へ入園したが、全く馴染めず、わずか1日で退園した。「拒絶反応がでた。外国へ連れてこられたような気分だった」と語る。その後入園した日本人幼稚園には馴染み、「気づいたら日本語も話せるようになっていた」という。
 彼と記者はこの幼稚園で出会った。ポルトガル語しか話せず、日本語が全く分からない状態で入園した私を、幼い彼が通訳して助けてくれたことを覚えている。
 入学した小学校には、私達を含め、ブラジル人の子供が多かった。そのため、音楽会の時などには、彼がポルトガル語の司会役を務め、持ち前の語学力を遺憾なく発揮した。
 彼の学業成績はどれも優秀で、国語の成績も良かったが、ブラジル人というだけで日本語の特別補講教室に無理やり行かされていた。岩本さんは「なんで日本語も話せて、成績も良いのに行かされるのか訳がわからなかった。当時は我慢してたけど、すごいむかついた。教科の進み具合もすごく遅くて退屈だった」と不満を漏らす。
 さらに、ある教員が「そんなことをしてると、日本語の特別補講教室に行かせるぞ」と日本語の特別補講教室へ行くことがあたかも恥ずかしいこと、罰であるかのような言い方をしていたことも差別的で不満だったと話す。
 岩本さんは「あの先生のせいで学校生活に対するモチベ(ーション)はすごく下がった。なるべくあの先生を避けて学校に通ってた」と思い出す。その教員は「あの子はブラジル人だからしょうがない」などとも口にすることがあり、自身のルーツに対する理不尽な軽蔑的言動に心を痛めた。
 その一方でブラジル人生徒に寄り添う教員らもおり、「優しく接してくれた先生たちが居てくれたから学校へ通い続けられたし、卒業もすることが出来た」と感謝を語った。(続く、松永エリケ記者)

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