次いで、一九八五年一月八日、ノルデステ視察旅行に出発した。もう少し小型で私達の資金力で夢のかなえられる場所はないものだろうかとの思わくからであった。この思いに火を付けたのは、当時七十七才で北バイア、ジュアゼイロに農業進出をしていた大谷参雄さんの力説に誘われてのことである。
この旅行記はアグロナッセンテ誌の一九八五年七~八月号と九~十月号に分けて連載されているので、ここではその要点のみを書いてみよう。
一月八日の夜行寝台バスでエスピリット・サント州のビトリアまで雨の中の旅で、そこからは普通バスで南バイアのテイシェイラ・フレイタスに着き、コチア青年仲間、永山、徳重、前田、竹内さんの案内でマモン景気に湧く同地を視察交流した。私達の旅のカラバーナは私達夫婦に次女の恵美、それに同じ県出身で後輩の甲斐咲美さん夫婦の五人であった。
テイシェイラ・フレイタスからは田舎バスでサルバドール経由アラゴアス州の内陸の町サンターナ・ド・イパネーマに着く。そこは私達の長女るり子とミゲール、それに初孫のレイナが住んでいた町で、そこで一泊ゆっくり休養をとり、翌日の夜行のオンボロバスで次の目的地、北バイアのジュアゼイロに向かったのであるが、途中でバスが故障を起こして、月夜のカーチンガに放り出された格好になった。
乗客達は途方にくれて、皆ガヤガヤ話している中にこのバスは同じジュアゼイロでもセアラ州のジュアゼイロ・ド・ノルテに行くバスだったことが分かり、運転手に頼んで、ジュアゼイロ・ダ・バイア行きのバスを待って乗せて貰った。もしこの事故がなかったら、セアラ州まで行ってしまうところであった。
次の目的地はサンフランシスコ河の中流の都市、ペルナンブーコ州のペトロリナ近郊で、大々的にぶどう栽培とぶどう酒を造っている実業家、山本守氏を訪ね、色々説明を受け、一泊させて貰い、第二農場を見て、タクシーで河向こうのバイア州ジュアゼイロ・ダ・バイア市のコチア産組合の事業所を訪ね、アントニオ・ガルデン主任の計らいで新良貴嵩さんに二日間の案内を受けることになった。
ジュアゼイロ・ダ・バイアとペトロリーナは、北伯の大河サンフランシスコ河をせき止めて出来た、途方もなく大きな人造湖ソブラジニョ・ダムの水を利用した灌漑農業地帯の中心地である。この二つの都市の周りに幾つもの植民地が作られつつあった。そのいくつかを新良貴嵩さんに案内してもらった。入植二年目のクラサ植民地は、ブドウとメロンが主体。そこに行く途中の河べりにマニソーバ植民地があった。
クラサのいくつかの農場をみて、その日の夜はバイアの名物料理、魚のムケッカを食べた。河から陸に上がった船の中に出来たレストランであった。