ブラジル埼玉県人会の元会長で、機械輸出入代理店長をしている尾﨑眞次(おざき・しんじ)さん(77歳、東京都出身)が4年ぶりに来伯し、10月17日から11月2日までの約2週間滞在した。今回の来伯では、自身が行っている代理店業務の得意先回りをはじめ、永住権の更新、INSS(国立社会保障院)負担金の確認、コロナ禍で亡くなった友人たちの弔問(ちょうもん)が主な目的だった。
尾﨑さんは1967年に工業移住で単身、ブラジルに渡り、サンパウロ市にあったイタリア系のプラダ社の金属部門で3年勤務。その後、70年に慶子夫人と結婚し、モジ・ダス・クルーゼス市のプラグ製造会社NGKで働いた。80年には日本に帰国し、埼玉県で電子部品等を製造販売する「日特(にっとく)エンジニアリング」(現・NITTOKU株式会社)の設計部門で勤務した。
その後、2003年に日特エンジニアリングと小寺電子製作所(岐阜県)の機械輸出入代理店業務を行うため、再び渡伯した。その間、ブラジル埼玉県人会長などを務め、17年9月には「埼玉県人移住100周年・埼玉県人会創立60周年記念式典」を開催。当時の県知事だった上田清司(きよし)氏ら母県からの慶祝団も出席し、1983年にサンパウロ市内アルト・デ・ピニェイロス区に開設されていた「さいたま公園」で記念植樹を行った経緯がある。
尾﨑さんは2018年1月に日本に戻り、コロナ禍などで、この4年間はなかなかブラジルに来れなかった。そうした中、今回の来伯では得意先回りでマナウス、クリチバ、リオなどを訪問。サンパウロ市では懇意にしている旧友たちと会い、コロナ禍で亡くなった人々の弔問も行ったほか、5年ぶりに「さいたま公園」も訪れた。
また、本来は海外在住の場合、2年以内のブラジル入国が必要な自身のブラジル永住権の更新について、空軍出身のブラジル人の友人とともに着伯後すぐにサンパウロ市の連邦警察に出向いたという。コロナ禍で2年以内にブラジルに戻れなかった理由を説明し、その証明書を提出したところ、永住権の更新ができた。ちなみに、今回は来伯しなかった夫人の身分証明書を持参したが、本人でなければ永住権の更新はできないと連邦警察から説明を受けたそうだ。
尾﨑さんは4年ぶりの来伯について、「物価が高いですね」と率直な感想を語り、「今後も日本とブラジルを行ったり来たりして、90歳まで現役でいたいと思います」と意気込みを
表していた。