1960年代の空前のアイドル・ブーム「ジョーヴェン・グアルダ」のひとりで、ブラジルにおけるロック歌手の先駆者だったエラズモ・カルロスが22日、リオ市の病院で亡くなった。81歳だった。22日付現地サイトが報じている。
1941年にリオ市のチジュッカで生まれたエラズモは幼少時から、後にブラジルでの黒人ソウル歌手の先駆となるチム・マイアと友人となり、 音楽仲間と集まるようになる。1958年にはリオ市で行われた、米国のロック歌手ビル・ヘイリーのコンサートでロベルト・カルロスとも知り合った。
エラズモはバンド、レナト&ヒズ・ブルー・キャップスのメンバーをしながら、ロベルトに曲を書くようになったが、1965年、レコルデ局ではじまった音楽番組「ジョーヴェン・グアルダ」が彼の名を一躍有名にする。ロベルトと女性アイドルのヴァンデルレアと並び、エラズモは一躍人気アイドルとなり、「トレメンドン」の愛称で親しまれた。
この番組はブラジルにロックを広める契機となったが、作詞作曲のできるエラズモはこのブームを音楽的に支えた。「エ・プロイビド・フマール」「ケロ・ケ・ヴァ・トゥード・プロ・インフェルノ」などのロベルトの大ヒットを共作する傍ら、自らも「フェスタ・デ・アロンバ」などの大ヒット曲を出した。
60年代はエルヴィスやビートルズなど、欧米のロックの影響が強い作風だったが、60年代末からはジョルジェ・ベンやカエターノ・ヴェローゾなどの同世代アーティストの影響を受け、「サンバ・ロック」と呼ばれるブラジル風スタイルに移行。1971年のアルバム「カルロス、エラズモ」はブラジル風サイケデリック・ロックの名盤として今日でも語り継がれている。
その後もエラズモは円熟味溢れるロックで、移り変わりの激しい音楽界で尊敬を集める存在となっていた。
だが昨年8月にコロナウイルに感染して以降、体調を崩し、先月も腎臓系疾患で入院。今月はじめに退院したが、21日に再入院した矢先の死だった。