それは1通のメールから始まった。とても丁寧な文言で、母の伝記を書くに当たってのブラジル側のリサーチを依頼する内容だった。
その母・小川フサノ(熊本県出身)は1917年の若狭丸で叔父の本村末廣とその妻ツノの構成家族として13歳でモジアナ線のファゼンダ・ダ・セーラに入植。なんとフサノが乗った同船者には11歳の半田知雄もいた。その後、伯剌西爾時報で働き、奇しくも選字工として働く半田氏と会っていたかもしれない。
そして、あの当時ではちょっと考えられないことだが、昼はタイピスト、夜はダンサーとしてアルバイトをし、わずか8年後の1924年に一人で日本へ帰国しているのだ。
帰国後の人生もすごい。横浜でカフェ「タンジー」を開いて大成功。その後、上海へ渡り後にCIA創設にかかわるロバート・ジョイスと大恋愛。結婚には至らなかったが、著者の詳細なリサーチに基づき、フサノの人生と時を同じくしてジョイスの経歴が語られる。この辺はさすが日本初の軍事アナリストで現在・静岡県立大学特任教授だけある。巻末の資料はまるで論文を書いたかのように参考資料名が連なる。
フサノは上海で宝くじに当たり、その資金を元手に日本でアパート経営に乗り出す。そうした話の裏も当時の「婦人之友」などに取材された記事を掲載し、確認を取っている。事実、この記事の拡大版は、最初にリサーチ依頼された時から添付されており、当時の時代背景を考えると、かなり先端を走っていた女性であることが解かる。
さらにこの本がすごいのは、没落していく母親の姿もあますことなく書かれている点だ。著者の誠実、正直さが現れる所だ。
実は小川和久氏とは日本でお目にかかったことがあった。小川氏は記憶になかったようだが、軍事アナリストという堅い肩書とは裏腹に非常に寡黙で穏やかな印象だった。これは月刊「Hanada」の花田紀凱氏も夕刊フジの著書紹介で書かれていた。
ブラジル側の私のサポートが悪く、ポルトガル語のカタカナ表記に若干のミスがあるがそんなことはまったく気にならないほど、面白く、深い中身だ。
ブラジルでの話はコンデ街の話や1924年のブラジル革命市街戦などの話も出てくる。
熊本での出自の話も貴重だ。女性ひとりの伝記だが、後に駐日公使となる陳伯藩やオーストリア名誉総領事となるエルンスト・ストーリなど、錚々たるメンバーとの交友から世界情勢が手に取るように分かってくる。いつの世も戦争で人生を狂わされる人はいる。フサノも間違いなくそんな一人だ。現在の世の中もウクライナや台湾問題などで非常にきな臭い。そんな今だからこそ、過去をきちんと学ぶのは大切なことだろう。難しい話ではなく、楽しく一人の女性の人生を追いながら、それを学べる素晴らしい本だと思う。ぜひ、手にとって読んで欲しい一冊だ。
最後に著書紹介をブラジル日報に紹介するに当たり、小川氏は「本村末廣(Suehiro Motomura)氏のご子孫が見つかればいいのだが」とメールしてきた。一度、同紙に尋ね人で掲載願ったが、再度、心当たりのある方は、ご連絡を頂けるとありがたい。連絡先・大久保純子(junkojiarigato@hotmail.com)。