リマに戻り、今度は海岸沿いに南下、南方三〇〇㌔のパラカスから船に乗り、バレスタス島をめざす。
ここは南極からの寒流が暖流とぶっつかる所にカタクチイワシなどの魚類が豊富にいて、それを捕食するグヮノという鳥が島一面を埋め、その鳥の糞が海外に肥料として輸出されている。海ぞうのセイチュウが島の海辺にハーレムをつくり、ギャーギャー鳴いている。さらに南下。太平洋とアンデスに挟まれたイーカ州はほとんど雨が降らず、その砂漠の中にナスカの地上絵がある。小型飛行機で一時間二十五分、空から地上絵を眺めるけれど、絵の輪郭ははっきりとせずぼやけて見えた。ペルーは観光資源は豊富にあるのに、観光設備が不充分で経済もブラジルよりかなり遅れていると感じた。この度のペルーの旅は別のノートにもっと詳しく書いてある。
・八月 日伯修好一〇〇周年。
・八月二十四日 日本の千葉で三女、絵理子と後藤慶君の長女ナタリア遥(はるか)が誕生。美佐子は第四回目の訪日で出産手伝い。遥は未熟児で約一ヶ月間保育器で育った。
・九月十八日 宮崎県農政水産部次長の次男の児玉忠氏と山下栄次係長が来伯、リオに案内。
・九月十七日 コチア青年移住四〇周年記念式典(黒木政助会長)がラポーゾ・タヴァレス街道のコーペル・コチア・クラブで開催され、母県宮崎より四名の慶祝使節来伯。
・九月二十二日 母黒木ぬい死亡(九十二才)(午後四時三十分)宮崎県日向市東草場六九四一の私達の末妹七海の夫黒木昭征の家で十四日間の意識不明のあと、やすらかに永眠した。父、弥吉の死後四十年、ようやく浄土で再会した。四男四女の母で、七十才までは苦労極まる人生であった。葬儀は天理の儀式で行い、訪日中の美佐子が私の代理で参列した。
・十月二十五日 黒木ベアトリス茜誕生。長男悟と前田みずえの長女。
・十一月四日 慧、第四回目の訪日母ぬいの五十日ミサに参列することと、宮崎県招待の豊かな海づくりの祭典(油津港)への参列、そして県招待高齢者への付き添いの名目での訪日であった。
・十二月八日 前記の役目が済んだ後、花作り仲間の斉藤たけし、福寿やすひろ、まだ若い木村いさむと私の四人で日本の花作り視察旅行を楽しんだ。福岡の八女から始まって、愛知の渥美の花卉産地、岐阜と廻り、最後に千葉の成田近辺を廻った。
一九九六年(平成八年)
・一月 次女、恵美の姑今里港さん(今里けいエジソンの母親)が癌のため死亡。