「会員の高齢化と減少により、残念ですがサンパウロ短歌会は今年限りで閉会することになりました」――同会の世話人、小池みさ子さんと末定(すえさだ)いく子さんが7日に来て、そう告げた。「他より先に終わるのは辛いですね・・・。本当に寂しいです」と小池さん。1937年に創立したブラジルで最も伝統ある短歌会の一つだが、一世会員の高齢化と減少の波には勝てず、惜しくも85年の活動に幕を閉じることになった。
小池さんは40年前、1982年から同短歌会に参加している。「当時はほとんどが戦前歌人ばかり。武本由夫さん、徳尾渓舟(けいしゅう)さん、安良田済さん、清谷益次さん、水本すみ子さんなどすごい人がずらり。戦後歌人は高橋暎子さんとか4人ほどでした」と思い出す。当時の全伯短歌大会には250~300人も参加することがあったという。
毎月1回の歌会には80年代には約30人が集まった。「とっても面白かったんです。誰がどこに座っても良く、商売やお金の話は一切しない。歌さえうまく詠めれば、大きな顔が出来た。何というか浮き世離れした人が多かった。短歌会が無かったら、私も今のような心境になれなかったかもしれません」。小池さんはしみじみと振り返った。
1937年1月にピニェイロス区にあった暁星学園に武本さん、徳尾さんら5人が集まって第1回の歌会が開催されたのが創立のキッカケ。翌38年には総合短歌誌『椰子樹』が創刊され、戦争中は中断した。
終戦直後の47年に聖市短歌会として復活。仲眞美登利さん、岩波菊治さん、武本さん、清谷さん、徳尾さん宅などを会場に持ち回り開催されたという。
84年からは山形県人会が会場となった。87年に合同歌集『光源都市(一)』を刊行した時には参加者57人(物故者4人)だった。2015年に『光源都市(七)』(参加者25人)まで刊行した。
最後の短歌会(第612回)は今月4日に開催され、参加者は9人だったというが、通常は4人程度しか集まらず、「今の平均年齢は80代半ば。これでは雑談会のようにしかならない。自力で会場まで来れる人が、パンデミックの後にめっきり減りました」と小池さんはつぶやいた。
参加15年ほどという末定さんも「ここまで続けてくれた先輩たちにご苦労様と言いたいです」と語った。小池さんに今の心境を尋ねると、「小野寺さんの作品の通りです」と答えた。
本紙14日付5面に掲載された最後の歌会の作品には《長年を心支えの会なりし終えても友等との絆忘れじ》(小野寺郁子)、《とつ国に生きる哀感おりおりの吐息ともわが短か歌は》(小池みさ子)などが並んだ。