ルーラ大統領の就任式に出席するために来られた特派大使、小渕優子衆議院議員のご来伯を心から歓迎します。
かつては「ブラキチ」と呼ばれた田中龍夫先生ら多くのブラジル親派の先生がいましたが、現在では残念ながらあまり見当たらなくなりました。
お父上の小渕恵三氏(1937─2000)は60年代初めに、かばん一つでふらりとブラジルを旅行したとお聞きします。政治家を志す早大大学院生として世界情勢をみるためアメリカなどを旅行。ブラジルが最後の訪問地だったとか。
1カ月半~2カ月間ほど、ブラジルに移住していた早稲田大学の先輩の宿を借りて移住地などを見て回り、日系人の温かさに触れてブラキチになったと言い伝えられております。
そんなブラジル滞在中のある日、小渕氏の母から突然「内閣総辞職。すぐに帰って立候補せよ」という電報が届いたと聞きます。帰国直前、サンパウロ市内のレストランで当時の三田会会長の石井賢治さんと食事をした際、五つ星のホテル・オットンパレスを見上げて「いつの日か、ここに泊ってみせますよ」と宣言したとか。
帰国した小渕氏は父の跡を継いで、26歳で衆議員に当選。総務長官、官房長官などを歴任しました。実際に4年後に国会議員としてブラジルに戻り、石井さんとの約束を見事果たされました。
お父上は98年6月の日本移民90年周年祭には外相として来伯され、記念式典に出席しました。外務省の誰もが反対する強行なスケジュールを推して出席し、「百周年には総理として来ると話した」とも伝えられております。
お父上はブラジルから帰国したすぐ後、自由民主党総裁になり、実際に総理大臣に就任されました。自由党、公明党と連立政権を樹立し、内外政にわたり多くの懸案を処理されましたが、惜しくも2000年に病に倒れ、そのまま逝去されました。さぞや無念だったかと思われます。
先週、日本では小渕議員に「“女性初の総理”候補に急浮上」との記事が出ているのを拝見しました。父上がブラジルからの帰国後すぐに総理になられた一事を思えば、さもありなんと納得しました。
小渕議員の郷里である群馬県は、奇しくも日本屈指のブラジル人集住地区となっております。もしお父上がご存命なら、大泉や太田のブラジルレストランに、頻繁に足をお運びになっていたかもしれません。
そんなお父上を持つ小渕議員が今回、ルーラ大統領の就任式というブラジル連邦共和国の大きな節目の時に、日本政府を代表して参加されることは、我々在留邦人および200万日系人にとっても誠に喜ばしいことと存じます。
2004年に小渕議員がブラジルを訪問された際も群馬県人会館を訪問され、親しく在留県人と懇談されたと聞きます。
これを機会に、小渕議員にはぜひ日伯の太いパイプ役になってほしい、そう日系社会は願っております。