12月29日に亡くなった「サッカーの神様」ペレの通夜は、彼の古巣のサントスFCのヴィラ・ベルミロ・スタジアムで2日の午前10時から3日の午前10時まで続いている。スタジアムの前には「最後の別れを」と望む人達が開場前から長蛇の列を作っていたと2日付G1サイトやテレビのニュースなどが報じている。
ペレの遺体がサンパウロ州海岸部のサントス市に着いたのは2日未明。スタジアムの更衣室に一時置かれた遺体は、10時の開場までにはスタジアム中央に設けられたテントに安置された。
通夜に参列した人々は名も無いファンや近隣住民だけではなく、国内外の著名人も数多く訪れている。
国内の著名人による通夜参列第1号は最高裁のジルマル・メンデス判事で、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ政権ではペレの名前を冠した法律も作られた事などに触れた後、「ペレは誰に対しても心を込めて接し、誰に対してもシンプルだった」と述べた。
また、国際サッカー連盟(FIFA)のジャンニ・インファンティーノ氏も参列し、ペレの息子のエジーニョらとも言葉を交わした。同会長は「加盟各国の代表達と話し合い、ペレの名前をつけたスタジアムを少
なくとも一つずつ設ける(既存のものの改名も含む)事で、子供達にもペレの大切さを伝えて行きたい」との意向を表明した。
ブラジルサッカー連盟のエジナルド・ロドリゲス会長も会場を訪れ、13歳だった時にイリェウス市で行われた試合でペレがプレーするのを初めて見た時の事が忘れられない事や、9歳の時からペレのファンだった事、テレビが少なくて試合を観る事は難しかったが、ラジオにかじりついて中継を聞いていた事などを語っている。
就任式を終えたばかりのタルシジオ・デ・フレイタス・サンパウロ州知事も午前11時15分頃に駆けつけ、「史上最高の選手がブラジルから出た事を誇りに思う。ブラジル代表のユニフォームに刻まれた五つの星(W杯での優勝回数を示す)の内三つはペレの活躍で得たものだ。3冠を遂げた選手は世界中で彼だけ。彼の名前が忘れられる事はない」と述べた。
ルーラ大統領は2日の午後、通夜
に参列する予定だったが、ブラジリアでの業務が長引き、3日に参列する事になった。だが、2日にはジャンジャ夫人との連名で花輪を贈り、サントスFCとブラジル代表の「永遠の10番」への顕彰の念を表した。
ペレの故郷のミナス州トレス・コラソンエス市のジョゼ・ロベルト・デ・パイヴァ市長も参列し、「私はわが町の英雄、エジソン・アランテス・ド・ナシメント氏の通夜に参列している。ペレはミナス州民にとってだけでなく、世界中の人にとって重要な人物であり、世界の市民だ」と宣言した。
また、在ブラジル・ナイジェリア大使のマカルフィ・アフマド氏も、「ペレはナイジェリアを何度も訪れ、内戦停止にも貢献してくれた。ペレの死はナイジェリア国民にとっても大きなショックだ。心から、ペレの遺族とブラジル国民への哀悼の意を表したい」と語っている。
2日の参列者はスタジアムの外の路上にも何重にもなる長蛇の列をなしており、棺の傍らに着くまでに5時間かかったという人も大勢いた。