連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第130話

・九月五日 黒木家の春のみたま祭りに己知治と美都子さんもやって来た。
 己知治(六十八才)の体が余り良くない様だ。今頃は日本からの焼酎に浸って、生活の全てが酒に優先される。痛風であれ程までに痛い目に会っているのに、まだ酒は止められない。運動もほとんどやっていないようなので、これでは体調は一度に悪化するばかりだ。金があるから、金が災いしている。いつでも何の制約なしに呑めるからだ。自分でも分っているはずだ、だけど自分に負けている。どんなに金があってもすぐ死んでは金持ちになった意味がない。自分の意志で自分をコントロール出来ないのなら、禁酒施設に入れる事を皆で話し合っている。
・九月十八日(土) 五十五年ぶりに私達のアメリカ丸同船者会がレストラン泰山で開催された。
 山田貢さんが発起人となり、私がその協力者となって皆に呼びかけた。三〇人も集まればと思っていたら七〇人もの同船者が集まって、にぎやかに五十五年前の船上生活を懐かしんだ。皆その皺(しわ)に五十五年間の苦労が刻まれているように感じた。今後毎年やろうという人が多かったけど、発越人になる人がいればの話である。
・九月十九日(日) コチア青年五十五周年と花嫁移住五十周年記念式典が国士舘の体育館で開催された。新留会長の挨拶のあと、私もコチア青年一次一回生の先輩として挨拶を行った。芦川道子さんは花嫁代表として挨拶した。今回は中間年の式典なので、日本からの来客もなかった。でも、六〇〇人からの参加があり盛大であった。この度の式典は特に五十年もの間、夫を支えて頑張って来られた妻達への感謝の気持を表すイベントと位置づけた大会であった。私がイペーと桜の記念植樹を担当した。大部一秋、栄子総領事ご夫妻に記念に植えて頂いた。
 又、この式典と並行して記念誌〈コチア青年の妻たち〉と言うご夫人方の今までの体験集として発刊 した。皆に大好評であった。そして、もうひとつ、コチア青年の孫、つまり三世の訪日事業も行われた。 皇居で皇太子様にお会い出来て皆感激を持って帰伯した。

 

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