《記者コラム》カーニバル参加体験を聞く=日本等でサンバ習って本場で=「出場するために転職した」

チームインペリオに参加した皆さん

 サンパウロ市で2月17日から18日にかけてスペシャル・グループのカーニバルパレードが行われた。その一つインペリオ・デ・カーザ・ベルデに出場するためだけに日本や米国から来伯した日本人5人に、サンバを始めたきっかけや、本場体験の感想、伯国に対する印象などの話を聞いてみた。

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 アメリカ在住のアラタさん(61歳、東京都)は12年もサンバの練習を行っている。最初にサンバに魅了されたのは、ブラジル出張中にサンバチームマンゲイラのダイジェストビデオを見たことだったと話す。
 「車椅子の人や、小人、ビール腹の人たちが堂々と笑顔で踊っている姿がとても素敵だった」と画面越しに受けた刺激に心からしびれたと振り返る。アラタさんは浅草カーニバルに一度参加した経験を持ち、ブラジルではこれまでリオのカーニバルを一度観戦し、今年初めてサンパウロ市のカーニバル出場を果たした。
 これまでアメリカでは元パシスタからサンバを習っていた。彼女の教え方は「目を瞑って、ドラムに身体を合わせて」という直感的なもので、アラタさんは2カ月くらいで慣れたと話す。
 だがブラジルに来てからは、逆にそのようなものは珍しいと教えられ、実際に体験したものは基礎から論理的に教える本格的なものだったことに驚きを隠せなかった。
 「実際に参加してみて、みんな親切で感動した。チームの人たちはいつも声を掛けて丁寧にサポートしてくれるし、パレード後も『あなたの踊りみたよ。最高だったね』と褒めてくれて、サンパウロとインペリオが好きになっちゃった。Alegre!」と笑顔を浮かべた。
 高橋茉里さん(32歳、宮城県)は「ブラジルに10年前から興味をもっていて、ここに来るのが夢だった」と話す。サンバを始めたのは2年前。その理由はコロナ禍で何か趣味が欲しくなり、ラテン系のサルサかサンバのどちらをやろうかに悩んだ末、一人でも練習が行いやすく、楽しいと感じたサンバを選んだ。そして今年来る機会を得て夢を実現した。
 本番では帽子が落ちそうになったり、つけまつげが落ちたりするなどのトラブルに見舞われ、練習通りに体が動かせなかったと話すが、「人生であるかどうかわからない経験。参加してよかった。本当に楽しかった」と満ち足りた表情でうなずいた。
 茉里さんは最後の予行演習から参加したため、チームに溶け込めた感覚は得られなかった。「次回は最初から参加して、チームとの一体感を強く感じてみたい」と話す。
 岩崎絵美さん(東京都)もサンバは2年前に始めた。コロナ禍で気持ちが内向きになり、体重も気になり始めたことから楽しくなるようなものを探し、サンバと出会った。
 サンバを始めるにあたり、衣装の面積が小さいことから社会的にどう見られるか心配だったと不安を明かす。だがコロナ禍に後押しされて始め、すぐに体重も気にならなくなったと話す。
 「日本でサンバに対する認識は『セクシー』であり、楽器があることすら知られてない」と述べ、日本で始めるのはすごく壁があると話す。
 ブラジルに来るために会社に有給を申請すると、「ブラジルに行くと言ったとたん申請が通らなかった。行けたとしても10日間のみ。それじゃあ、絶対に何もできないと思い、ブラジルへ行くために転職を決めた」と明かす。
 ブラジルでカーニバルに参加して、「言葉が通じなくても踊ることができればいい」と言わんばかりの雰囲気を感じたと話す。「一人一人が尊重されて、年齢も体形もポジションも違うけど、それでもパレード全体としては実に一体化している」との印象を受けたという。
 さらにブラジルに対し「想像より経済的にすごく発展していた」と驚いた様子。さらに現地の人に対し、「みんなに親切に助けてもらって旅行者としてすごく助かった。どこにいても歓迎されているような居心地の良さがある。ブラジルに来て本当に良かった」と感謝の言葉を述べた。
 茉里さんと絵美さんはともに「日本ではブラジルに関する情報がすごく少なかった」と話す。「ブラジルはイメージしているものと全く別。治安の悪さはウーバーとかで回避できるし、ヨーロッパより親しみを感じた」と印象を語った。
 ブラジルでは英語ができる人がいなかったため、次回までにポルトガル語を学び、現地の人と交流を深めたいと顔を見合わせて、「絶対にまたブラジルに戻ります」と元気に話した。
 マルコさん(東京都)は10年前に麻布十番の祭りでサンバを初めて見て、大きな羽に憧れを抱いたという。就職後、露出の多さに抵抗感を覚えるも、2018年に姉と共にサンバを始めた。
 サンバを習い始めて5年目の今年、念願の本場のカーニバルに参加することが出来た。しかし、本番直前の待機中、突然大雨が降り、寒さに足が震え、「もうだめかも」との気持ちが頭をよぎった。意を決して本番に臨んだが、今度は胸部の飾りが落ちそうになり、自由に身動きが取れなくなった。それでも「後悔したくない」と気持ちを奮い立たせ、全力で踊ることができたという。「最初はすっごく寒かったけど、全力で楽しめた。本当によかった」と充実した様子で話した。
 伊藤磨古(まこ)さん(52歳)のサンバとの出会いは10年前、家の前の商店街で行われていたサンバパレードだった。打楽器の音色に惹かれチームに入りたいと思ったが、気軽には参加し辛かったので諦めていた。ところが3年後、会社でサンバチームに所属している人と知り合い、チームに入ることにした。
 今年で3回目の出場になるが、本番一カ月前から胃痙攣で体調が悪く、参加できるかどうか不安だった。立てるくらいまで回復したので何とか出場を決めたという。
 「大丈夫かなと心配していたけど、打楽器隊の音が聞こえてくると、魔法にかかったように体調不良のことなど忘れ、最後まで力強く踊りぬいた」と笑う。「最後の山車は締めだから、やりきれてよかった」と安心した様子。次回はカーニバル参加ではなく、本格的に各エスコーラを回って修行したいと抱負を語った。
 5人はブラジルと日本を股にかけてサンバ界で活躍する三由翼さんの生徒だ。三由さんは東京でサンバ教室「Vila do Samba」を行っている。三由さんはチーム旗を掲げて踊るポルタ・バンデイラのエスコート役、メストリ・サーラとしてインペリオに出場している。
 三由さんは8年間で100人ほどをカーニバルに出場させてきた。羽衣装の作成も手掛けている。三由さんは「今年来た人たちも事故なく楽しんでもらえて、さらにチームにも貢献してもらえたのでとてもよかった」と喜びを語った。(仲村渠アンドレ記者)

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