ルーラ訪中中止とボルソナロの帰国
24日付テラサイト記事(7)によれば、ボルソナロ前大統領が所属するPL党のヴァルデマル・ネット党首は24日、「ボルソナロは3月30日にブラジルに帰国する」と公表した。明後日、今週木曜日だ。
同じ24日に、ルーラは訪中出発の予定を25日から26日に急きょ変更し、25日には訪中自体を延期した。理由は気管支肺炎によるドクターストップとされている。
1月のアルゼンチンおよび南米首脳との会談、2月の米国訪問に続き、「30人以上の連邦議員と200人以上の企業家を引き連れた今年最大の外交イベント」と目されていた訪中だ。中国側からすれば、共産党から3期目の再任を受けて以降、習近平国家主席が最初に訪れたのがロシアで、最初に受入れる外国の指導者がルーラという位置づけだった。
習近平のロシア訪問直後に、ルーラ訪中というあまりに地政学的なテンションが高いタイミングだった。今回の訪中延期で、その熱が少しは冷めるかもしれない。
伯中首脳会談のテーブルには約20の協定書がサインされるのを待っていた。その一つには、今年記念すべき10年目を迎える一帯一路構想へのブラジル参加があったと25日付BBCブラジル《ルーラは肺炎で訪中を延期 : 新しい日付はなし》記事(8)には報じられている。
さらに同紙は一帯一路構想へのブラジル参加に関して、《この計画が、中国によるラテンアメリカでの政治的・経済的影響力を拡大する方法と見なしているワシントンを怒らせるだろう》と書く。25日付エスタード紙サイト《ルーラが交渉中の一帯一路構想参入には国内で異論も》(10)にも、米国や国内産業による反発があることを報じている。
同エスタード記事によれば、一帯一路参加国147カ国には隣国アルゼンチンやチリなども入っている。《中国は、地域経済大国ブラジルの参入を強く求めており、ラ米地域の20カ所ではすでに中国からの海運や陸運に関するインフラ投資を受けている》とある。
2004年、ルーラは第1次政権の時に当時の胡錦濤前国家主席をブラジリアに迎えた。この際、低価格な中国製品の輸入によって壊滅的な被害を受ける国内産業からの抵抗と批判を受けた。
そのため、WTO(世界貿易機関)の規則に従って中国がアンチダンピング手続きをとること、さらに中国国内市場にブラジルがアクセスできる特権を与えることを、ルーラは中国側に求めて約束させた。だがそれは実行されなかったと同エスタード記事にはある。
26日時点で訪中新日程は「4月中か」との推測が出ているだけ。ただしビジネス訪中団のうちの100人ほどは現地到着済みで、主役なしで現地交流中だ(9)。
一方、ポデル360サイト23日付は《ルーラは中国から戻った後、G7会議に招待されるはず》(18)と報じた。訪中より先にG7という可能性も出てきた。本来ならルーラは5月にアフリカ外遊を予定と言われていた。中国寄りに行きそうなブラジルを米国側に引き戻そうとする動きの一環のように見える。
G7は広島で5月19~21日に開催される。そうなれば岸田首相と首脳会談という流れに。中国勢に負けない関係深化に期待したいところだ。
山積する国内問題と心配な体調
訪中計画の裏では、連邦議会で大問題が起きている。リラ下院議長とパシェッコ上院議長が「両院委員会」の設置方法に関して50日間以上も激論を交わしており、合意点を見いだせない。
そのために連邦政府の看板政策である新ミンニャ・カーザ・ミンニャ・ヴィーダ(低所得者向け住宅提供政策)や新ボルサ・ファミリアなど20以上の暫定令が、連邦議会で承認されないままだ。その状態で120日が経過すると暫定令が無効になるという頭を抱える状態だ。
その仲介にルーラが乗り出したのが24日午後であり、妥協点はまだ見いだせていない。パジーリャ官房長官は24日、ルーラが訪中をキャンセルすることを発表すると同時に「大統領は来週療養に専念するが、大臣との会合や新財政均衡法案にも集中する」と述べている(11)。当然、両院議長の仲介工作もするに違いない。
一方、訪中キャンセルはボルソナロにも影響が出るようだ。オ・グローボ紙サイト25日付(12)でジャーナリストのラウロ・ジャルジンは、ルーラ訪中キャンセルの副作用が、ボルソナロ帰国に現れると警告する。ルーラが訪中していればメディアがそれを連日報じ、世間の注目がそちらに集まっていたはずだ。
《PLメンバーは、ブラジリアに主要なPT党幹部がいないことで、前大統領の到着にスポットライトが当たらないですむと考えていた。その予想に反して、30日にはルーラとボルソナロは共に首都にいることになる。これは新大統領就任以来初のことだ》と指摘している。
とはいえ、25日付ポデル360サイト(13)には、PT内には訪中キャンセルを聞いて安堵する人々もいると報じている。《プラナルト(大統領府)には安堵感が漂っている。理由は、大統領が77歳で、肺炎から回復中の状態で、24時間もの飛行機旅行に行くことになるからだ》とその体調を心配している。
というのも、2003年から07年までルーラ政権法相を務めたマルシオ・トマス・バストス氏は、慢性肺疾患の悪化により2014年、79歳で亡くなっていた。PTにとっては身近な人物だった。
ルーラは今年10月に78歳になる。心は働き盛りのつもりでも、身体はそうではない。
「モロをぶっ殺してやりたい」と泣くルーラ
ルーラは21日にブラジル247サイトのインタビューで、ラヴァ・ジャット作戦によって刑務所に入れられた時の心境を振り返った。
ポデル360サイト記事《獄中でモロをファックしてやりたかったと、ルーラは泣きながら語った(Lula chora e diz que queria “foder” Moro quando estava preso)》(14)によれば、獄中生活は拷問だったとルーラは語り、さらに《『土曜日や平日に検察官が立ち寄って、調子がいいかどうかを尋ねる。3人か4人の検察官が入ってきて、「大丈夫ですか?」と聞く。私は「大丈夫じゃない。モロをファックしてやるまでは大丈夫にならない」と言った》と復讐を誓っていることを述懐した。
奇しくもすぐあと22日に、セルジオ・モロ上議とその家族、元サンパウロ州知事のジェラウド・アウキミン副大統領、サンパウロ州検察局でPCC担当責任者のリンコン・ガキヤ検察官らの誘拐暗殺計画を練っていたPCCメンバーを、連邦警察は逮捕した。
なぜモロがPCCから狙われたのか。24日付エスタード紙《セルジオ・モロはPCCから標的にされる何をやったのか》(5)によれば、2019年にPCCリーダーのマルコラらの脱獄計画発覚を受けて、モロ法相(当時)はそれまで収監されていたサンパウロ州刑務所から警戒厳重な連邦刑務所に移管して、各地の施設で順繰りに収監する方策を考慮した。
さらに通常の囚人は家族と直接対面ができ子どもを作ることすらできるのに、モロ法相は特別待遇の囚人はガラス越しに電話で会話、オンライン形式の面会に変えたことで、犯罪組織から怒りを買った。ガキヤ検察官はそれを提言した張本人だった。
エスタード紙23日付《PCCはマルコラの救出とモロへの攻撃に500万レアルを費やした》(3)によれば《ネフォまたはNFとして知られるジャネフェルソン・アパレシド・マリアーノが指揮する賊は、6カ月間、標的の監視を命じられた。彼らはクリチバ地方に家を借り、そのうちの一つの部屋には武器とお金を隠すために偽の壁が作られていた。ネフォはモロ邸の近くの家屋と、クリチバの上院議員の政治事務所の隣にある商業用の部屋を借りた。賊は夫婦と子供たちの日常生活を撮影した。学校、体育館、買い物も会議も、すべて盗賊が動きを監視した》とある。
最優先のプランAはマルコラ救出で、プランBが政治家らの誘拐や暗殺だ。PCCは合わせて500万レアルを事前調査に投資したと警察は見ている。
今も連邦警察を信用しないルーラ
23日付エスタード紙《ルーラは連邦警察を信用せず、モロの『作り事』(armação)、品位を持て》(15)によれば、ルーラは「証拠のない話はしたくない」と前置きしつつ、自らの傘下にあるはずの連邦警察の捜査を信用せず、PCCによる暗殺計画はモロの作り事の可能性があると発言して波紋を呼んだ。
ラヴァ・ジャット作戦を遂行して自分を逮捕した連邦警察に対して、大統領になった後も強い不信感を持っており、モロへの復讐心に煮えたぎっている発言だ。ルーラ個人ならいくら感情的になっても良いが、大統領として発言するから波紋を呼ぶ。
それに対し、モロは「もし私や家族に何か起きれば、それはルーラの責任だ」と反論した。さらに25日付CNNブラジル(16)によれば、連邦警察の暗殺計画調書にあるPCC構成員が使っていたメールアドレスの一つに「lulalivre1063」があることに疑問を呈した。
「lulalivre」はルーラが獄中にいたときに「ルーラを自由にしろ」という意味で起った左派運動の名称だ。そもそのPCCの暗殺リストにはルーラもボルソナロも入っていない。なぜ法相だったモロは狙われて大統領のボルソナロが狙われないのか。それは、マルコラの連邦刑務所移管にボルソナロは反対していたからだ。
モロはツイッター25日付で「暗殺誘拐計画で捜査されているPCC犯罪者の一人が、なぜlulalivre1063というメールアドレスを使っていたのか?」と問いかけた
Gostaria de entender por que um dos criminosos do PCC, investigado no plano de sequestro e assassinato, utilizava como endereço de e-mail lulalivre1063?
— Sergio Moro (@SF_Moro) March 25, 2023
22年10月29日付ポデル360サイト(7)によれば、昨年の選挙運動期間中、アウキミン副大統領候補(当時)は「モロは著書の中で、ボルソナロがマルコラ移管をキャンセルするように伝えてきたので驚いたと書いている。移管した結果、民間人に被害を及ぼす報復が始まったら、その責任を連邦議会で問われて罷免される恐れがあると思っていたようだ」と発言している。
ルーラに関しては、PCCの意図に反することを任期中にしていないからだと推測される。また常々、PCCやコマンド・ベルメーリョが支配することが多いファベーラ(貧民街)において、圧倒的な支持を集めているのはPSOLやPTなど左派だ。どう関係しているのかは不明だが、PCC内部にはルーラ支持者がいることがメルアドからはうかがえる。
ルーラ支持者として知られるマテウス・レイトンは24日付ヴェージャ紙コラム《ルーラがモロに贈った素晴らしいプレゼント》(17)では、《この不幸な一言で、ルーラはセルジオ・モロに重要な政治的贈り物をした。ブラジリアでは、PT党員(ルーラ)が「死刑執行人にブイを投げた」とすでに言われている》と書いた。すでに国民の関心が薄れていたモロに関して、ルーラがコメントすることで政治的な影響力を復活させたからだ。
かつてただの泡沫候補だったボルソナロを執拗にルーラが攻撃することにより、世間から注目される候補に〝育て上げた〟実績がルーラにはある。同じことをし始めているのかもしれない。
実は東洋街と縁のあるPCCリーダー
PCCがA計画に上げていたのはリーダー「マルコラ」救出だった。マルコラはサンパウロ市リベルダーデ区に身近な存在だ。ポ語ウィキペディア(1)によれば、本名はマルコス・ウィリアンズ・ヘルバス・カマチョ。1968年、ボリビア人の父とブラジル人の母を持ち、サンパウロ州オザスコのヴィラ・ヨランダ近郊で生まれた。母は9歳の時に溺死し、父のことは「覚えていない、死んだ」と彼は警察に証言している。
孤児になったマルコラは9歳のときにサンパウロ市セントロのバイシャーダ・ド・グリセリオで泥棒として捕まり、そこから彼の犯罪歴が始まった。バイシャーダはリベルダーデ区の下町地域だ。当時、彼はセントロのセー広場で接着剤(コラ)をよく吸っていた。だから「Marco cheira cola」(マルコがコラを嗅ぐ)を縮めて「マルコラ」とのあだ名が付けられた。
つまり、今でこそ泣く子も黙る凶悪犯罪組織リーダーだが、少年時代はリベルダーデ広場あたりをブラブラ歩いていた浮浪児だった。
そして単なる偶然だが、ブラジル的には「PCC」で頭に浮かぶ言葉がもう一つある。中国共産党(Partido Comunista da China)も頭文字が同じだ。そしてなぜか犯罪組織はロゴを陰陽マークに決め「正義と悪が交互に生起する」あり方を示す印としている(2)。
ルーラはPCCによる暗殺計画発覚によって宿敵モロを攻撃し、肺炎を起こしてPCC総書記である習近平中国国家主席との会談をキャンセルした。不穏な言葉遊びになった一週間だ。(深)
(1)https://pt.wikipedia.org/wiki/Marcola
(2)https://pt.wikipedia.org/wiki/Primeiro_Comando_da_Capital
(8)https://www.bbc.com/portuguese/articles/cevndw09011o
(13)https://www.poder360.com.br/poder-flash/cancelamento-de-viagem-causa-alivio-entre-aliados-de-lula/
(14)https://www.poder360.com.br/governo/lula-chora-e-diz-que-queria-foder-moro-quando-estava-preso/
(17)https://veja.abril.com.br/coluna/matheus-leitao/o-grande-presente-que-lula-deu-a-sergio-moro/
(18)Lula deve ser convidado para reunião do G7 após retorno da China (poder360.com.br)