県連ふるさと巡り南大河州編=誕生と終幕、南伯に新胎動=(12)=現地の介護施設を訪ねる参加者も

 ポルト・アレグレ市の日系団体には南援協、ポルト・アレグレ文化協会に加え、同市日本祭りを運営するために設立された日本祭り協会がある。
 さらに青年が集う「和会」もあり、日本文化に関心を持ち、それを普及するために活動を行う。その名前には「日本の会」「若い」「和解」などの意が込められている。日本文化普及や交流の場を設ける他に、福祉活動や活性化を通じて現地に貢献している。
 メンバーは15歳から35歳までの40人ほどで、非日系人も参加できる。同会はコロナ禍中の2020年に設立され、今も拡大する勢いがある団体だと聞いた。
 このように、日系人が少ないリオ・グランデ・ド・スール州でも青年らを中心に新しい取り組みがみられる。同会は他団体から独立しており、青年らが管理、運営、企画などすべてを担っている。だが一行との交流会当日、和会のメンバーは出席していなかったため、残念ながら話を聞くことは叶わなかった。

ポルト・アレグレ市での記念写真

 交流会翌日の3月20日朝、宿泊したポルト・アレグレ市のホテルで朝食をとっていると、参加者の大島純子さん(78歳、神奈川県)が、昨晩は同船者の古い友人に会うために交流会を抜け出していたとの話になった。
 大島さんは1967年11月に渡伯し、ミナス・ジェライス州ピラポーラに入植した。大島さんの友人はリオ・グランデ・ド・スール州のリオ・グランデ市に入り、離れ離れになってしまった。
 遠く離れることになっても大島さんは会うことを諦めず「71年には子供2人を連れてミナスから会いに行ったもんだよ」と笑みをこぼした。だが、5年前に友人のもとを訪ねると、体が不自由になり介護施設に入院していた。
 「ジュンちゃんだよって言っても私のことが分からなくてね。(彼女は)すごく笑顔が魅力的な人だった。(笑顔がなくなってから)家の中が寂しくなった」と残念そうに話した。
 そして今では友人の配偶者も体が不自由になり、二人で介護施設に入っているという。昨晩の交流会にその友人が来られなかったので、大島さんから会いに行った。
 5年ぶりの再会ははどうだったか聞くと、「話すことは何もなかった。少し挨拶をしただけだよ」と少し悲しそうに話した。5年前から名前を言っても認識できない友人なのだから、会話も弾まなかったはずだ。
 「それでも会いに行くのはどうしてですか」と尋ねようと思った記者の機先を制するように、大島さんは「次にいつまた会えるか分からないから」と何気なくつぶやいた。その言葉がしばらく重く胸に響いた。ふるさと巡りの現地交流は「故郷」の言葉が示す通り、旧交を温める部分が強く、少し複雑な気持ちにさせられた。
 一行はホテルを出て、最後の訪問先イボチ市へ向かった。(続く、仲村渠アンドレ記者)

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