20日午前10時30分、イボチ移住地に到着したふるさと巡り一行は、イボチ日伯文化体育協会のパウロ・トシオ・タナカ会長に一人ひとり歓迎の握手を受け、会館に迎え入れられた。会館入口横の厨房で和食のご馳走を準備している様子がうかがえ、連日シュラスコ三昧だった一行は思わず心を躍らせた。
歓迎の挨拶がひと段落した後、一行は移住地内にある移住資料館を見学した。館内には日本から持ってきた生活用品や農工具、昔の写真などが展示されており、移民の暮らしや働き方、教育などについて学べるようになっていた。開拓農地や植民地、農業組合なども紹介し、地元住民や観光客からも人気を集めているという。
続いて日本語学校の視察を行った。生徒数はパンデミック前は60人ほどいたが、コロナ禍に入ってから24人に減少、昨年に34人まで回復したという。生徒は大多数が非日系だ。
かつて会館脇には相撲の土俵があったが、競技者がいなくなったため解体され、現在は月に一度会館前で催されるフェイラで訪れる子連れ家族のために公園へ作り変えられていた。会館前の文協施設には、フェイラ用軒先屋根が市の協力で取付け工事が行われている最中だった。
移住地施設見学後の11時30分頃、会館で歓迎会が始まった。先亡者へ一分間の黙とうが捧げられ、パウロ会長からふるさと巡り一行へ遠地からの来訪に感謝と歓迎の言葉が贈られた。
盛大に用意された日本料理の数々を味わいながら、一行は現地移住者との歓談を楽しんだ。ふるさと巡り参加者は料理をお皿に盛りつけながら、「お肉を食べ飽きちゃって日本食が食べれることが本当に嬉しい」「やっぱり、ふるさとの味が一番だね」と満面の笑みを浮かべていた。
厨房で調理協力をしていたレイコ・ゴトウさん(72歳、3世)は「何を作ったら喜んでもらえるかみんなで考えたら、やっぱり日本食だよねって。ふるさと巡りの皆さんに喜んでもらえたようで本当に良かった」とほほ笑んだ。
配膳手伝いをした浜中忠志さん(76歳、東京都)は「ちょっとした気恥ずかしさはあるけど、サンパウロの人たちと話せるのは嬉しい」と語った。
12年前に同文協会長を務めた久保芳道さん(82歳、鹿児島県)は「こうやって大勢の人が集まるのを見ると懐かしさがわいてくる」としみじみ。「知らない人との交流はボケ防止としていい」と楽しそうに話した。
料理の手伝いをしていたアズサ・タナカさん(18歳、3世)は現会長の娘。6歳の時に同移住地で父から卓球を教わり、州大会や全国大会で優勝する活躍を見せ、フランスで行われた国際大会にブラジル代表として出場した経歴を持つ。「文協は活気を失いつつあるから、こうやって賑やかになると嬉しい」と笑顔を見せた。
ドイツ系住民によるドイツ伝統音楽の披露や、参加者によるカラオケも行われた。様々なもてなしと交流を心ゆくまで楽しみ、午後3時に歓迎会は幕を閉じた。
一行は帰りのバスに乗車する際、歓迎会参加者らに丁寧に別れの挨拶をし、空港へ向かった。一行の顔には今回の旅に対する満足感が浮かんでいた。
空港では長い待ち時間にすっかり疲れ切った様子だったが、口々に「楽しかったね」と旅の感想を語り合っていた。(終わり、仲村渠アンドレ記者)