大学三年生の中盤。日本も世界もコロナウイルスとどう共存しようかをまだ探っていた時のこと。四年生への進級を目前にした私は心の中で自問自答を繰り返していた。
「このまま大学生活を終えて社会に出てもいいのか。後悔しないのか」。出てくる答えはなんとも濁りの深いお茶のような色をしている。各種留学制度も調べたが、自分の求めるものはなく、海外留学への意欲は低調だった。
ある日のお昼ご飯、同学科のSちゃんが「ブラジル日本交流協会の研修プログラムでブラジルに一年間行くんだ」と言った。その時「私が求めていたものはそれだ!」と直感が走った。
まるで、無意識に留学プログラムマッチングアプリで「ポルトガル語圏」「研修現地留学(語学能力を使ったもう1ステップ先の活動)」「ブラジルの人々」と検索をかけて、奇跡的にマッチが実現したかのような、そんな感覚だった。
研修事業に参加を申し込み、ブラジルへの渡航、滞在に必要な書類手配作業も無事終えた。日本の交流協会の人たちや友人に暖かく見送られながら、一回目の時とは違い、今度は5人で飛行機に搭乗した。
ブラジルのグアルーリョス空港に着いたとき、一回目と同様のムワッとした空気に触れ、妙に安心したのを覚えている。「あぁ、また帰ってきたのだ。今度は一回目の5倍もブラジルにいれるのだ」と高揚感でいっぱいだった。
着いて数日で研修が始まった。最初の頃は時差ボケと戦いながら、8時から18時、月曜日から金曜日まで研修をした。
始めは、興奮と未知なものとの遭遇とやる気でなんとか乗り越えたが、次第に研修と週末のプライベートな予定の調整が難しくなり、体調を崩す事も多くなった。しばらくすると、通常の研修に加えて研修時間外で日本語教室を開講出来るほどの余力が生まれた。ブラジルで出来る最大限の事をやり切った。
学生の私は研修を通じて、週五日で働くことがどれほど大変かを痛感した。
ブラジルの人々との交流を通じて、自分に合うものを選択する、それを取り込んで、また違った自分になる。これは自分と合わないな、と思ったら捨てる。このようなプロセスを何回も繰り返した。色々な体験をしたことで新たな野口くるみになった。
ブラジルという国は、多種多様な人種や文化がお国柄ということもあり、どんな在り方でも受け入れてくれる社会の寛容さがある。それぞれが持つ強さや個性がむしろ歓迎され、自分らしくいることが心地よくさえ感じた。
一つ、ブラジルで学んだ心得を共有する。自分と価値観や性格が異なる人に対して、その人の事を自分と違うからと否定するのではなく、それはその人の在り方(JEITO)だ、とする考え方だ。
他の研修生も同じことを言っていたので、伯人の考え方の一つなのだろう。今後もっと色んな人と関わっていく身として、違う人を認め、一人の人間として尊重する方法を学べたと思っている。
ブラジルに興味はあるけど…長期滞在してみたいけど…と足踏みしている皆さんへ。是非勇気の一歩を踏み出してみてください。治安は決して良いとは言えませんが、それ以上に皆さんが知るべき魅力が沢山広大な土地に埋まっています。是非発掘しに行ってもらいたいです。
ブラジルの方々は一人一人を、優しく、暖かく、大きく手を広げて出迎えてくれます。日本では出来ない、言葉では表しきれない体験を是非皆さんにもしていただきたいです。