リベルダーデ日本アフリカ広場か=レイス州議の改名法案が進展

3月17日、サンパウロ州議会で「リベルダーデ日本アフリカ広場」改名法案について説明するレイス州議

 レイスサンパウロ州議(PT)がサンパウロ市市議だった2020年に、サンパウロ市のリベルダーデ日本広場を「リベルダーデ日本アフリカ広場」に改名する法案(PROJETO DE LEI 01-00023/2020)をサンパウロ市議会に提出し、この3月以降、特別委員会を通過して意見書提出と、最後のリカルド・ヌネスサンパウロ市長の署名待ちの段階であることが分かった。レイス州議が3月17日午後、サンパウロ州議会で初演説をした際、その経緯を詳しく語った。

 レイス州議は本名「パウロ・バチスタ・ドス・レイス」でサンパウロ大学法学部卒、黒人系の62歳。サンパウロ市のバス輸送の運営と監督を担当する市営管理公社CMTCの公務員として組合運動に参加し始め、1992年から労働者党(PT)の活動家に。2012年から今年3月までサンパウロ市市議、同月からサンパウロ州議になった筋金入りの活動家だ。
 彼が2020年に提出した法案は、広場の名称を「Praça da Liberdade África – Japão(リベルダーデ日本アフリカ広場)」に変えるというもの。すでに関連委員会の審議を通過し、意見書(Parecer)の提出とヌネス市長の署名待ちの段階になっている。
 レイス州議は議会演説で1821年9月20日、シャギーニャという黒人兵士が現在のリベルダーデ広場にあたる場所で絞首刑に処される際、首つりロープが2度切れた奇跡を振り返り、その時に群衆が「神の奇跡だ」「シャギーニャを無罪、自由(Liberdade)にしろ!」と合唱を始めたとの逸話を紹介。
 その死体が埋められた「アフリットス墓地」の中央部分にあったカペラ・ドス・アフリットス(capela dos Aflitos、苦悩する者たちの礼拝堂)が現在も続いていることを強調し、「ブラジル日本移民110周年で眞子さまがご来伯されたことを記念して2018年に、広場の名前に『日本』を入れたことに反対する気はない。だが、アフリカとの絆の強さ、歴史も忘れないようにするために『アフリカ』という言葉を入れることを提案した」と説明した。

サンパウロ市議会に提出された法案

 110周年当時、リベルダーデ文化福祉協会の池崎博文会長らが中心となって「リベルダーデ広場」から「リベルダーデ日本広場」に改名する運動が起き、当時の市長が承認した。同時に、メトロ駅名も「日本リベルダーデ駅」に変えるよう働きかけられ、当時の州知事が承認していた。
 これに対し、当時から黒人コミュニティやシャギーニャ信仰の強いグループから「黒人の歴史も残すべき」との強い意見があり、22年4月には同駅前広場に黒人女性サンビスタ、デオリンダ・マドレ(通称マドリーニャ・ユリース)の銅像が建立された。その流れでこのような法案が進んできたようだ。

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