《記者コラム》自分を捨てて命を残すか=自分も残して大きくなるか

 14日の「母の日」は皆さんいかが過ごされただろうか。家族で集まって母親に「おめでとう!」と祝いの言葉を贈ったり、遠くに住む母親に電話をしたりした人も多いだろう。
 コラム子は娘夫婦や孫、息子を交えて昼食の時を持った。その折、娘がふと言及した、5年前の母の日に息子がくれた鉢植えの観葉植物や子株が、子供達や自分の姿に重なって思えた。
 もらった鉢植えには2種類の観葉植物が植えられていた。大きくなれば鉢を取り替え、挿し木をして増やし、娘やフェイラで植物を売る婦人に分けてあげたりした。

新しい芽と共に育つ葉(右)と枯れた葉(左)、奥にあるのは枯れたのと同じ観葉植物の葉

 今年は両方の観葉植物の葉から新芽が出た。一方の観葉植物は、これまでも植え替え時に落ちた葉を土にさしておくと芽が出ており、当たり前のことだった。だが、もう一方は芽が出たことはなく、葉から増やすことは諦めていたのに、今年はごく若い葉を土にさしたからか、芽吹いている。
 ただ、二つとも同じように芽は出たが、その後に違いがあった。後者の観葉植物の葉は、芽が出始めてから次第にやせ細り、枯れてしまったのだ。
 発芽して成長する「子株」と共に生き、自分も成長する葉(植物)と、新たな命が芽生えると、自分が蓄えていた栄養や命を与えるかのようにやせ細り、枯れていく葉がある。
 どちらが良い、悪いという問題ではない。それぞれの生き様だ。二つの植物を見ながら、自分はどのように生きたいかを考えさせられた。
 コラム子が20歳になる頃、8歳上の姉に「私に意見しようなんて早すぎる。悔しければ、追いつき、追い越してごらん。私は前を走り続けるけどね」と言われたことがある。彼女はきっと前者のタイプだろう。
 コラム子は日本で最初に就職した時、そこに骨を埋めるつもりで職務に励む一方、いつでも辞められるようにも心掛けた。これは世話になった恩師がまだまだこれからという時に癌で倒れたのを目の当たりにしたことが影響している。恩師の後は奥さんや弟子達が継ぎ、結果的に後者のタイプのような生き様となった。
 自分は新芽のためにやせ細って枯れていく葉にはなりきれないだろうなと思う。少なくとも今は、新芽を他者として突き放せず、見守り、寄り添いたいと思う自分がいるからだ。この思いは現在の職場や自分の子供達との関係にも当てはまる。
 植物は面と向かっては何も言わない。だが、その生き様は他者と調和して生きることについて多くを教えてくれる。ひとまずは、心を柔らかくして、各々が語りかけてくることに耳を傾けること、周囲と平和を作り出すことを心がけねばと思わされたことだった。(み)

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