田倉の横にいた長女の律子は、やや興奮した声を出した。彼女は十八歳になっていた。農業移民として渡航するには、一家族に十八歳以上の働き手が最低三名必要なので、律子が十八歳になったのを機に一家は移住を決めたのである。本人は、天賦の体躯に恵まれ、スポーツに長けていたこともあり、未知の大陸で活躍することに何ら不安はなかった。神経質な継母のはぎからは敬遠されるふしもあったが、律子は頓着せず、人並み以上の自信に満ちていた。
「知ったようなことを言うな」
田倉は律子の頭をなでながら、
「まだ子供やな」と笑った。
「飛行艇って勇ましくてカッコいいわ。男に生まれていたら航空兵になっていたかもよ」
「軍国主義に憧れたら、あかん」
「この前、友だちと『肉弾三勇士』の活動写真見に行ったわ。鉄兜をかぶった三人の兵隊が爆弾を抱えて敵の鉄条網を突破したの。雨の日だったようで、兵隊はみんな黒く映っていたけど、そこがまた何とも勇ましかった」
「ここはブラジルや。『鉄砲かついで剣下げて』じゃ、通じやせん」
「解ってるわ」
律子の心は故郷の田園に帰っていった。村の西側に大和川の土手があって、学校のひけた子供たちはそこを戦場としてよく戦争ごっこをやった。男と女が半々くらいでその頃の子供たち、ことに女の子は絣の着物を着ていて、戦死の真似をして土手を転げ落ちると、着物の裾がまくれ白い足が露わになる。中には下着をつけてない子もいて可憐な桃のような部分が露わに見えたりすると、男の子たちは、いっせいにそちらへ眼を注いだ。鉄兜を被った一人が、
「山中のべえやん、おかゆ煮えたら、ボボ、カイカイ」
とはやしたてた。その女の子は泣きながら家に帰ってしまった。
律子は、女の子が泣いたその詞の意味が解らず後で餓鬼の子供に訊いたところ、山中の「べえやん」とは田舎者の意味で、《おかゆ》はその地方の常食である。《ボボ》とは女性の陰部のことで、《カイカイ》は痒い痒いの意であることを知り、律子は赤面した。大人から教えられた言葉だろうが、ずいぶんえげつない揶揄もあるものだと律子は驚き、泣いて帰った女の子にその意味が解ったのかどうか、不思議でならなかった。
「飛行機が来た」
誰かが言えば、子供たちは皆土手に上がった。東の空に浮かんだ小さな複葉機はぶるんぶるんと空気を震わせながら近づき、見上げる者の頭上を越えて西の空の涯てに消えて行くのだった。