小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=7

 車内での昼食はパンにハムを挟んだものが配られた。パンは長く巨大で、ハムは外まではみ出しているため頬ばりにくい。ちぎって口に運ぶのだが、まるで鯉の餌の麩みたいで味がない。ハムは生肉を塩で固めた代物だし、日本でそういうものを食べてない移民たちは、その異物を持て余し溜息をもらした。妙な物を手にした猿のように小首をかしげたり、列車の窓から投げ捨てる始末だった。
 実は、昨夜のホテルでの夕食もほとんどの移民が食べ残していた。黄色く太いうどんにトマト汁、それに粉末チーズを振りかけて食べるマカロニは、脂の臭いが強くて食欲が湧かなかった。
 ことに、永い船酔いと育児に疲労衰弱した律子の母親のはぎは、
「回虫を皿に盛ったようだ」と、食べる前から吐いていた。他のホテルに泊まった人びとも、
「骨付きの焼いた肉は野蛮人の食べ物みたいで、しかも固くて喰えたものではない」
 と、こぼしていた。空腹でありながら食事は喉を通らない。この頃の日本人の多くが外国食に慣れていなかったのである。
 午後三時を過ぎて、高原の都サンパウロ市に着いた。このサンパウロ州都は、それまで話に聞き、書物などから想像していた以上の大都会である。十八世紀風建築のルース駅舎は煤にくすんでいた。構内を往き交う人びとも、この度の革命騒ぎの故か活気が感じられない。駅舎からは市街地の光景はほとんど見えなかった。耕地へ配耕される前に、南米随一の雄都見物を希望する者も多かったが、それは許されぬことであった。
 薪を燃料とした汽車は、火煙だけは威勢がいいが、最高時速五〇キロそこそこで、百キロメートル西寄りのカンピーナス駅に着いた時は、すでに夕暮れであった。ここで、別の地方へ向かう半数近い移民たちが乗り換えのために下車した。
 四十五日の船旅を共にした人びとは、互いに別れを惜しんだ。列車はなかなか発車しなかった。
 豊かなカイゼル髭をたくわえ、日焼した機関士は、近くの店でコーヒーを飲みながら片手を忙しく上下左右に振りつつ、まるで演説でもしているように仲間の男と喋っている。発車の準備などまるで無視した熱中ぶりである。これはブラジル人の習慣であり、のちに至る所でそうしたゼスチャーの会話を見ることになる。

 夜になって、列車はカンピーナス駅を出発した。機関車から派手に火の粉を沿道に撒き散らしながら、夜通し暗黒の闇を走り続け、翌日の午後三時過ぎにノロエステ線のアフォンソ・ペンナと呼ぶ駅に着いた。

最新記事