これまでブラジル日本文化福祉協会の主催する農業視察ツアー「文協フラウ」には何度か参加させて頂くことがありました。いずれも良い体験でしたので、桂川富夫さんから今回の第16回文協フラウへのお誘いを受けた時には、直ぐに夫の村上佳和と参加させて頂くことにしました。
今回の文協フラウは、5月25日にサンパウロを出発して、ペルナンブッコ州ペトロリーナ、バイーア州ジュアゼイロを訪れます。その後私たちは、ピアウイ州セーハ・デ・カピバラなども巡り、6月2日にサンパウロに帰りました。
色々な準備手続きをしているとすぐに出発の日が来ました。
5月25日、朝2時半起床。3時半に宮岡康雄さんがアパートまで迎えに来てくださった。4時に参加者集合場所の文協に着き、バンに乗ってグァルーリョス空港へ出発。空港を7時30分に発し、ペトロリーナに10時着。先発隊は前夜の真夜中に出発した様です。
空港には旅行社の石川マリアナさんがバスで迎えに来て下さいました。「Eu amo Petrolina」と書かれた記念撮影スポットで参加者全員で写真を撮りました。昼食はレストラン「マンダカラ」で美味しく頂きました。マリアナさんのお母さんでジュアゼイロ日本人会の会長の石川モニカさんも来られました。
参加者は全員で約60人。石川レナト文協会長ご夫妻ら文協関係者の方々をはじめ、マリリアやインダイアツーバ、バイアなどブラジルの各地方からも来ている様でした。
14時30分、サンフランシスコ川の遊覧船に乗り、ゆったりと船旅を楽しみました。ペトロリーナとジュアゼイロの美しい風景に夕焼けがかかり、うっとりと鑑賞しました。向こうから遊覧船が近付いてきました。乗客らは賑やかに歌い踊っています。こちらも負けずに盆踊りで楽しく対抗しました。その後、美味しいブラジル料理に舌づつみを打ち、みんな大満足でした。
26日、朝8時にホテルを出発。イタリアぶどうの大ファゼンダ「ファゼンダ・エスポルチ・ドール・デ・フルッタ」に向かいます。入園させて頂くと素晴らしく見事なイタリアぶどうが整然と実っており、本当にびっくりました。
年に3度も収穫できるそうで、作業員の方は丁寧に摘み取りをしていました。アメリカにも輸出し、従業員は1200人ほどもいる大事業です!
会社の建物に入ると包装工場があり、約300人の女性達が流れ作業で箱詰めをしていました。作業は目にも止まらぬ早さで進み、きっかり500gに計りながら入れています。
甘くて美味しい黒紫ぶどうやイタリアぶどう、ジュースを沢山頂きました。お土産に干しぶどうなどを貰い、皆さん大満足でした。
次にプロジェクト・コエリョに行きました。リオ・サンフランシスコの水を灌漑してペトロリーナ地方の果物を作っているファゼンダに送っています。同地のマンゴーとぶどうはブラジルでも有名で、多くは輸出用になっているそうです。
林禎二日本国全権大使がブラジリアから到着され、皆さん大喜びでお迎えしました。フジ・ローザ・デ・ゼデルトの美しい花を共に堪能し、記念にブローチとローザ・デ・デゼルトの苗をプレゼントして頂きました。
夕方はジュアゼイロの日本人会へ。文協の役員や林大使、佐野弘明レシーフェ日本総領事、江口雅之JICA所長、原宏JETRO所長、ペルナンブコのギリェルミ・コエーリョ州知事特別補佐官が壇上へ上がり、挨拶などを行いました。
その後は、青年男女によるダイナミックな和太鼓演奏が力強く打ち鳴らされ、その素晴らしさに皆な大喜びでした。夕食は大ご馳走。日本食やブラジル食、シュラスコ(コステーラ、タンバキ、炭火焼き)など本当に美味しく、婦人会の力は凄いと思いました。
27日、いよいよ文協フラウの勉強会です。皆しっかりと椅子に座り、真面目に聴いている。司会はベテランのカルロス健二福原さん。石川レナト文協会長、江口所長、原所長らが挨拶し、元大学教授の黒沢忠吉さんは農作物の病気について熱心に話されました。皆さん素晴らしいパレストラでした。
28日、私達17人はセーラ・デ・カピバラに向かいました。カピバラ行参加者で自己紹介しました。殆ど年金生活者ですが元のお仕事はお医者、大学教授をされている方などでした。
セーラ・デ・カピバラに行く前に、オフィシーナ・メストレ・キンカス・アルテザナット会社のアルテザナット工場を見学しました。
使わない荷物は、後ほどまたホテルに戻ってくるので、ホテルに預ける様にとのお達しがあり、バック一つで行くことが出来ました。
アルテザナット工場には魔除けの様な模様が施された独特な顔の彫刻が所狭しと飾られています。工員の彫刻ぶりは見事でした。
次はファゼンダ・デ・フルッタウに。黒豚や羊、大型犬、鶏、ヤギ、アヒル、鴨、牛などが囲の中に放し飼いされています。黒豚はスペインから持ち込んだ黒豚が逃げて野生化したのを捕まえたとのこと。黒豚は雄1頭と雌2頭から増やし、現在は15代目、1000頭以上になったとのことです。色の違う豚は肉にして、純粋な黒豚を残して来たそうです。
ファゼンダではマンゴーとぶどうも作っており、ワイナリーも有ります。そこで作られたぶどう酒を頂きながら、羊と豚肉のシュラスコの昼食を頂きました。大きな釜が有るので何に使うのかと聞いてみたら、豚を丸焼きにする釜だそうで6時間くらい掛けて焼くそうです。ピッツァも焼くとのこと。
セーラ・デ・カピバラへ向かうため飛行場へ。
カピバラのホテルに着くとマリアナさん家族がバンで荷物を持って来てくれました。ペトロリーナからカピバラまでは、約320キロなので4時間ほどかかったとのこと。飛行機だと1時間でした。その後、ゆったりとブラジル料理のジャンタを頂きました。
29日、朝8時出発。靴はコンガ、日焼け止め、サングラスを持って行く様にと案内を受けました。凄く暑いとのことです。
マリアナさんは日本人女傑、石川モニカさんとブラジル人のお父さんとのミスチッサです。とても美人で、ブラジル人のジョアンさんと結婚されて、生後2カ月の女児ゆみちゃんのお母さんでもあります。34歳で旅行社を経営するしっかり者です。
マリアナさんはゆみちゃんを長い布で胸に抱き付け、車の中や勉強会、食事、山登りの時もいつも一緒にいます。ご主人のジョアンさんと協力して、子育ての最中、私達の面倒も良くみてくださりました。お母さんのモニカさんも凄く仕事の出来る人だそうです。この母にしてこの娘有りということですね。
現場に到着すると、大昔には川の下にあった山が次第に盛り上がることで出来た奇岩や、1万2000年前に古代人の描いた絵を見ました。石器時代の人の絵はシンプルなデザインではありますが、何とも魅力的です。これは羊、これは猿、これは愛し合っている人の様子とあちこちの岩を見て回りました。夜は私達の為に岩をライトアップしてくれてとても綺麗でした。
30日、8時出発。周りは山、山、山。のしかかってくる様な岩のそばや、道なき道を登ります。そこら辺に転がっている杖になりそうな木を拾って、皆杖にして登りました。用意の良い人は折りたたみの杖を持って来ていました。
昼からはジョンピメンタ・アレア・デ・バアレ・キャノンビスタスへ。バンで山を登りました。山頂からの景色はとても素晴らしいものでした。皆座ってうっとりとして夕方までいました。
31日、8時、出発。シルクイト・ド・バイション・ダス・ムリエレス山の中を40分ほど歩きました。雑草ばかりの本当に道なき道。途中、粗末な洗濯場が有りました。考古学者達が研究して居る場所だそうです。そしてまた岩、岩、岩です。
バーレ・ダ・ペドラフラーダに着きました。風や雨で自然の大穴が空いたそうです。皆手で輪を作って写真を撮ったりして大喜びでした。
ムゼウ・デ・ナトレーザでは、何億年か前、地球の地盤の動きでアフリカと南米が別れた頃に生まれたいろんな動物の骨がありました。
ムゼウの薄暗いサロンでアーザ・デウタ体験機に乗りました。メガネを掛けると本当に大空を飛んでいる様にセーラ・デ・カピバラを一望できました。岩を前後八方から見れて素晴らしい体験でした。
説明者が言うにはカピバラの若者達は、他州へ勉強に行ったり、就職したら、こちらには帰って来ないそうです。日本でも田舎の若者が都会に一度出ると中々帰らなくて人口が減って困ると言われていますが何処も似ています。
6月1日、セラミカ・セーラ・ダ・カピバラに。日本の食器の様に焼いたものも沢山あって、土から捏ねるところや焼く所まで見せてくれました。焼くと色が凄く綺麗に変色するとのこと。約800度から1200度のガスで8時間ほど焼くそうです。
皆さん、嫁や娘、孫達にとシャツや焼き物のお土産を沢山買っていました。
飛行機でペトロリーナにもどりました。
2日、朝8時、出発。ペトロリーナからサンパウロへ帰りました。帰りは文岡まみさんが自宅まで送ってくださいました。
文協関係者の皆様、参加者の皆様、マリアナさんのご家族、良いお友達ばかりで楽しく、本当に素晴らしい文協フラウでした!
有り難うございました。感謝。感謝です。