《特別寄稿》いよいよ超百寿者時代到来=「アラッ! 気付いたらもう百歳だわ」=ヴィラカロン在住 毛利律子

元気な高齢女性たち

 私は今、一時帰国で日本に滞在しているが、超高齢化社会の真っただ中にいることを、何かにつけて痛感している。コロナ禍も明けた賑やかな日本で先日、久しぶりに人生の大先輩、90歳代没イチ淑女連の宴会に御呼ばれした時のことである。
 ちなみに、「バツイチ」は離婚歴一回の人のことをいうが、「没イチ」とは伴侶を失くした人のこと。淑女連は全員没イチ暦20数年。男性没イチは孤独な余生に耐えられず短命というが、女性は概ね活発な最晩年を過ごしている人が多い。
 居並ぶ淑女連も、どこからどう見ても90歳代には見えない。同席者で一番若いのが85歳。私ごとき70代前半などは、「アナタはまだ子供よ。もっと人生修行しなさい」と叱咤されるのである。
 大きな円卓を囲んで大声、大笑いの会話は止まるところを知らない。「耳が遠くなったから許してね」と殊勝な挨拶をしても他人の話を聞く気など毛頭なく、全員が一斉に喋りまくる。
 話題は実に豊富で、なんと百年前のできごとも実況中継のように語るのである。現代社会を、口角泡を飛ばし、実名を挙げて、忖度なしの強烈、激烈な批判というか悪口が飛び交うのである。ここでの話がSNSに拡散でもしようものなら、間違いなくたいへんことになるはずだ。
 しかし、百歳間近の人の過激な発言となると、妙に人を納得させる力があり魅力的ですらある。しかもその間に出されるワインを飲み干し、追加注文あり、次々と出る御馳走にケチをつけながらも完食。全員がはち切れんばかりに若々しい。
 宴もたけなわとなったところで、「私たちってね、気が付いたら100歳になっているかも」とくる。この分だと、この方々は全員「超百寿者」に突入すること間違いないと、感慨深く思うのである。

「傘寿」「白寿」から「百寿」時代へ

 1970年代、日本には「傘寿」「白寿」というめでたい言葉があり、100歳以上を「100歳老人」と呼んでいたらしい。「百寿者」という言葉は、琉球大学の鈴木信名誉教授の作った造語という。
 「ブラジル日報4月4日号」で、サンパウロ市在住の梅崎嘉明さん家族が主催した盛大な100歳祝賀パーティーが開催されたという記事では、「移民史の生き字引」的存在としての梅崎さんの人となりや、長寿の秘訣が紹介されていた。
 その秘訣とは、長年在ブラジル奈良県人会長という重職を務め、弛まない旺盛な文筆活動を続け、多くの友人を持ち、自分のことは自分でする。起床、就寝、身体を動かすなど規則正しい生活をする。そして食欲旺盛である。ひとつひとつが、世界の百寿者に共通した秘訣のようである。
 なぜこのようにカクシャクとして長生き生活ができるのか。健康百寿者を対象に「秘訣」の共通項を医学的に解析した研究がある。

長寿は遺伝なのか

 100歳を超えた人を「百寿者」「超百寿者(105歳以上)」「スーパーセンチナリアン(110歳以上)」と分類する。このような人々の長寿遺伝子の働きと長寿の関係性を、世界の研究グループが互いの結果を比較して遺伝子解析を進めている。
 ゲノム配列などの高度かつ難解な研究によると、百歳まで生きる人は脳卒中、心筋梗塞、癌、感染症などから免れた人。たとえ、わずかに悪い疾患の遺伝子を持つ人がいても、その発症を抑える強力な防御因子を持っていて病を発症せずに超百寿に至る。
 また、生活習慣病の遺伝素因が少ないから長寿なのかというと、そうではない。遺伝素因を比較すると、長寿者は生活習慣病のリスクが少ないためではなく、発症を抑えたり、発症しても軽くすむという防御素因があるからではないか、というのが研究結果である。
 このような専門的研究の詳細は割愛するとして、「遺伝の力」はどれほど大きいかというと、そんなに強いものではないらしい。つまり、長命家系に生まれたとしても、不慮の事故、天災・飢饉、感染症に罹る、戦争に巻き込まれることは、長寿の素質があっても長生きできないということになる。
 すなわち「社会環境」と「生活環境」が整っていることによってはじめて、その人のもつ長寿遺伝素因が働くということになる。
 健康長寿の日々を享受している人を対象にした研究が盛んに進められていること自体が、いかに平和で穏やかで恵まれた時代に生きていることを証明することになっているのである。そして、一般人は、その研究結果を知ることによって、改めて、「我が長命」に深い感謝するということになる。

年を取ると必ず認知症になるのか

 認知症なし、視聴覚に問題なしの百寿者がどの程度いるかという研究結果がある。
 東京百寿者304人対象の調査結果によると、
(1)認知症なし、視聴覚問題なし、完全自立は、全体の4%(男性8%、女性2%)。
 この調査に協力した百寿者で(1)のグループの人は栄養状態も良く、会話は80歳の人と同等であった。
(2)認知症なし、自立、視聴覚に問題ありは全体の14%(男性26%、女性8%)。
(3)認知症あり、要介護は全体の55%。
(4)寝たきりは、25%。

脳・身体機能の良好は全体の20%

食事をする前に合掌して感謝する高齢者女性

 全国60歳以上で男女計6000人を対象とした20年間の追跡調査では、女性の百寿者の半数は骨折の経験があり、骨折をきっかけにして認知症を併発するので、女性は骨粗鬆症と骨折の原因となる転倒の予防が必要となる。
 認知機能とは、外界から受け取る刺激や情報を認識、理解して、行動を遂行するための脳の働きを指す言葉で、記憶力や注意力、言語能力、判断力、遂行力などが含まれる。認知機能の維持は、「幸せな老い」を達成する重要な要因であると考えられる一方で、加齢の影響は一様ではない。
 記憶力の中でも、自分自身の経験や個人的な出来事に関する「エピソード記憶」は顕著な低下が示されるが、一般的な知識や物の名前などに関する「意味記憶」は、加齢の影響が少なく、歳をとっても衰えにくいとされている。エピソード記憶についても手がかりさえあれば、思い出すことができることも示されている。
 114歳の超百寿者でも認知機能に衰えがなかったり、認知症テストの得点が高い人もいれば低い人も存在するといった具合で、人それぞれということになろうか。認知症を恐れることより、長生きする人には糖尿病が少ないという結果のほうが興味深い。糖尿病は老化そのものに関連する。食事制限、自由に好きなものが食べられない、幸せな長生き生活を続けることができなくなるからである。

100歳人生の先にあるもの

 世界の最長寿命はというと、1875年(明治8)から1997年(平成9)まで生きたフランス人女性のジャンヌ・カルマンさん。122歳。彼女は120歳を超えて生きていた唯一の人類とされている。
 カルマン夫人は比較的上流家庭の出身だったので、公的書類が整って残っていたことにより生存年齢が確定された。国内の歴代最高齢記録は2022年に119歳で亡くなった田中カ子(かね)さんである。

「よく食べて、風邪をひかないこと」

 100年生きるには、「よく食べて、風邪をひかないことが原則」と言われる。自分で食事ができるということは非常に大切なことで、栄養状態が良い人は身体機能が良い、快適な生活が送れるという良質の循環が保たれるのである。
 長寿の人が挙げる秘訣の項目は、一番に食事である。卵・豆腐などの「たんぱく質」をしっかりと摂取していること。そして、食事は、「ほとんど誰かと一緒に食べている」こと。大多数であろうと、少なかろうと、誰かと一緒に食事を摂っており、ゆっくりと会話をしながらの食事を最も楽しみにしている。
 百歳以上の方は40%が介護施設に入っているというが、その理由は、骨折や肺炎、近親の介護者が病気、事故などで介護できなくなった場合である。
 ある一人の百寿者女性は認知症を発症していたが、「愛や義理だけでは介護はできない」と悟っていて、自ら進んで介護施設に入った。そこでは皆で食事をする。日がたつにつれ、女性にとってスタッフは自分の子供と思うようになった。子供の名前で呼ばれたスタッフも「ハイハイ」と明るく対応する。
 入所者は全員友達になり、こんなに幸せなら、「私はあと10年は大丈夫ね」が口癖になった。施設はすっかり自分の家、スタッフ、入所者はみな家族だと思うようになったという話を聞いて、認知症は怖がるだけの症状でもない。当人がそれで幸せなら、その時が一番と思うエピソードである。

最後まで口から食べる

 人間にとっての理想は、人生最後まで口から食べることができること。それができなくなると、口で食べたものを飲み込めずに誤嚥性肺炎を起こし、直接命が絶たれる場合もある。飲み込めない原因になる原因の一つは小さな脳梗塞によると考えられ、それが多発すると飲み込む筋肉をコントロールできなくなる。呑み込みが出来なくなった人にどうしたら栄養を付けるかという方法については、一長一短があり、担当医はとても悩むことになるという。

風邪をひかないことについて

 今現在100歳という人は感染症を潜り抜けてきた人である。風邪も感染症の一つであるから、風邪をひかないということは基本的な防衛法である。風邪をひきにくい人は細菌に対する抵抗力が強い、いわゆる免疫力が強いと考えられ、唾液や涙の中にたくさんの抗菌物質を持っている、すなわち免疫力が高い人、と研究者は理解している。

「老年的超越」とは

『人生は80歳から』(広瀬信義著、毎日新聞出版、2015年)

 「幸福な晩年を送りたい」とは誰もが考えることであるが、こうした想いに応えようとした研究も盛んである。そのひとつに「サクセスフル・エイジング(幸福な老い)」がある。
 サクセスフル・エイジングとは、アメリカで生まれた言葉で、「日本語で正確に言い表す訳語はない」というが、その意味は「良い人生を送って、天寿を全うすること」とされており、日本に元々ある言葉では「生きがい」が最も近いものではないかと考えられている。
 それには三つの要件が満たされなければならない。一つは「病気や障害がない」。二つ目は「なるべく高い身体能力や認知機能を維持する」ということ。この二つは、自分自身で「自立」して生活ができることを指す。そして三つ目は、他人との交流や生産的活動、積極的な関与、すなわち社会奉仕活動に生きがいを持って積極的に参加する「自律」が求められる。
 「自律」、すなわち、自分の意志をしっかりと持っているが、社会的ルールに従い行動ができること。社会参加していても、身勝手、自分の理屈を押し付け、わがままで横暴で、人を困らせる高齢者であってはならない、ということだ。
 誠実で人づきあいが上手、思いやり、心遣いが篤く、感謝の心を素直に表せる。宗教心が深い。いつまでも前向きで、柔軟な発想を以って挑戦したいことがある。先人の智慧を忘れず、善悪を言行一致で実践することができる、要するにこのような精神力がふさわしい。百寿者は人生の達人そのものであるから。
 100年も生きると自分の実年齢などどうでもよくなり、日々幸福感に充たされ、人生の辛苦を達観し、時にテレパシーが鋭くなり、「私の死はまだまだ遠いことなので、実感が湧かない」と宣うようになるという。
 これを「老年的超越」と呼ぶらしい。100年生きた先にこのような考え方に達することができるなら、超百寿者への憧れは増すばかりである。
【参考文献】慶応大学医学部百寿総合研究センター『人生は80歳から』広瀬信義著、毎日新聞出版、2015年

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