ブラジル福島県人会(佐藤フランシスコ紀行会長)は3日午前、サンパウロ市の同県人会館で、日系移民史研究家の池田マリオさん(78、3世)による同県出身の野口英世博士(1876―1928年)についての講演会を行った。40人が来場し、話に聞き入った。
福島県にある野口英世記念館では、訪伯100周年記念として展示会「黄熱病原体をもとめて中南米への遠征」が4月1日から開催中で、講演会はそれに合わせて企画された。野口博士はロックフェラー財団の細菌学者として、100年前の1923年に調査来伯した。
池田さんは冒頭、「私はアサイ移住地で生まれ、10歳の頃、笠戸丸移民である祖父から『日本の野口英世は子供の時に重度のやけどをしたが、それを乗り越えて世界的に有名な学者になった。人生で成功するには学業に精進するだけでなく、逆境を乗り越える覇気が必要』と言われ、それが幼心に刻みつけられた」としみじみ語った。
「野口博士を見習って朝早くからブラジル学校、午後からは日本学校に通い、1日中勉学にいそしんだ。それが私の人生を変えた」とし、長じて後は連邦警察の所長にまでなった。
ロックフェラー財団の研究員として1923年に黄熱病調査に来伯した野口英世は、3カ月ほどの短い滞在だったが、当時の現地医学界に強い印象を残した。主に研究に従事したバイア州サルバドール市の連邦大学医学部には、野口氏の名を関した実験室が現在も残され、リオ・デ・ジャネイロ市にも街路名として顕彰されている。
池田さんは祖父の言葉の影響から、折に触れて野口の足跡を調べて回っており、「成果をまとめて故郷アサイ市に私設資料館を作って展示したい。笠戸丸移民である祖父の記録、水野龍に関する重要な資料、そして臣道連盟に関する資料も展示したい」と意気込んだ。
1958年、日本移民50周年の折に、サンパウロ州カンピーナス市中心部にある土地を東山農場が寄付して野口英世公園が建設され、67年に野口の胸像も建立された。野口がカンピーナスに立ち寄ったとの記録は見つからないが、同地は黄熱病で苦しんだ歴史があるだけに縁のある偉人として敬愛されているという。
来場者の一人、網野弥太郎さん(86歳、山梨県)は「知らないことが多かった」と感心した様子を見せ、由井英二さん(73歳、大阪府)は「野口英世が池田さんの生涯に影響を与えた偉人であることがよく分かった」と感想を語った。