移民115周年の節目を迎え、ブラジル日本都道府県人会連合会(市川利雄会長)とブラジル仏教連合会(清野暢邦会長)の主催する『日本移民開拓先没者慰霊祭』が18日午前10時より、サンパウロ市イビラプエラ公園の慰霊碑前で行われた。桑名良輔在サンパウロ総領事をはじめ、野村アウレリオサンパウロ市議、各県人会代表者や日系団体関係者など約90人が参席し、先人の遺徳を偲んだ。
慰霊碑前には各県人会が持参した過去帳がずらりと並べられた。谷口ジョゼ副会長が司会進行し、「この公園内では宗教行事は禁止されているが、この慰霊祭だけは特別に許可をもらっている」と説明。ブラジル仏教連合会の清野会長が導師を勤めて法要が始まった。
市川会長は「笠戸丸移民は移民収容所をゴミ一つ残さずに使って、ブラジル人を驚かせた。先人らは子供に高等教育を受けさせることを重要視し、精神遺産を残してくれた」と挨拶し、桑名総領事も「世界最大の日系社会をここに作ってくれたことに感謝」「皆さんの生涯は我々の発想の源泉となっている」などと述べた。
清野導師ら7人の僧侶によって読経が行われる中、出席者による焼香が粛々と行われ、各々が先人の労苦に想いを馳せていた。
最後に谷口副会長は慰霊碑の歴史をポ語で参列者に説明した。「日本には戦没者や先亡者という言葉はあっても、先没者はない。戦場での戦いのような毎日の中で、亡くなられたことを示す造語です。まったくの異文化、異言語の中で、マラリアなどの感染症と戦いながら、薬局も病院もない原始林で先人たちは開拓に従事し、たくさんの悲劇が起きた」
その結果、当時住んでいた場所の裏庭に木製の墓標だけ立てて葬ることがあちこちで行われ、土地が痩せると別の耕地に引っ越してそのままにされ、いつの間にか墓標は朽ちて、誰のものか分からなくなった。
戦後、移民の送り出し機関「日本海外移住家族会連合会」の事務局長、藤川辰雄氏は自分が送り出した移民のその後を知るため南米視察に来て、その実情に驚き、移民の無縁仏を供養する慰霊碑を建てるべく、同連合会の田中龍夫会長らも加わって運動を始めた。その結果、1975年に田中角栄元首相揮毫による同慰霊碑が建立された。
その後、藤川氏は1986年9月、アマゾンで亡くなった日本移民たちの無縁仏の供養をする巡礼の旅の途中で行方不明となった。入水自殺したのではとも言われる。岡村淳監督のドキュメンタリー映像作品『アマゾンの読経』(2004年制作)に詳しい。
谷口氏は「慰霊碑の裏側から入る小部屋には、祭壇があり、菩薩像、白木の立像、地蔵尊が祀られ、無縁仏の過去帳、建立協力者の芳名帳、移民船上で亡くなった人の過去帳が供えられている。一度覗いてみてください」と呼びかけた。