シリーズ:境界を耕す日系人=松田真希子(東京都立大学)=第3回=多様な人とのつながりで境界を耕す:早田(はやた)アントニオさん

在日ブラジル人の心の闇に寄りそう

早田(はやた)アントニオさん

 1990年代のデカセギブームから30年以上が経過した。ブラジルから日本に渡った「デカセギ系」ブラジル人も3世が就学年齢に入り、日本で人生を終える1世も増えている。2020年から3年以上続いた新型コロナの流行は孤独や失業など、元々抱えていた問題を大きくした。そうした人々の心の支えになっているのが、ブラジル人ボランティアによるポルトガル語の電話相談である。電話では鬱病やDVなど、日本に生きるブラジル人の寂しさや苦悩、闇が語られる。
 日系ブラジル人2世の早田幸太郎(Antonio Kotaro Hayata)さん(52歳)も心の闇にじっと耳を傾ける人の1人だ。早田さんはブラジルでは、日系大手金融機関に勤めていた。日本の大学留学経験もあり、弁護士資格も持つ。典型的な2世エリートだ。
 しかし、2018年に家族で東京に移住してからは、外国人労働者を主な顧客とする送金会社で、多国籍の顧客を相手に窓口業務を行っている。その傍らで、日本に住むブラジル人の悩みを聞くボランティア活動を続けている。日本で学ぶブラジルの青少年の教育活動や法律相談のボランティア、通訳に関する仕事も行う。日本でもキャリアを活かした出世コースを歩むこともできただろうがあえてそうしなかった。
 国籍・背景を問わず自分が理想とする社会を作るために、誰とでもフラットにつながる早田さんは理想的な「境界を耕す人」だ。

Instagramには幸せしか映さない

 早田さんになぜボランティア活動をしているのか聞いてみた。そこには、大きく二つの理由があるようだった。一つは自分のできる範囲で社会貢献するため、そしてもう一つは社会活動によって自分自身の世界を広げるためだ。前者の理由はよく聞く理由だが、世界を広げるというのは、どういうことだろうか。
 早田さんは実際にさまざまなボランティア活動をする中で、移民には移民特有の苦しさがあることに気づいたという。それは早田さん自身にも当てはまった。移民がただ普通に移動先で生きると、生きられる世界が狭くなり、交流の中身が浅くなるという。その要因は二つある。ことばの問題と記憶の共有の問題だ。
 まず、ことばが分からないことで移動をしなくなり、人間関係が広がらなくなるという。
 「うつ病になっている人は日本で生活していることが影響していると思います。ことばの問題もあるし、知らない人の中で生きている。ひとりぼっちの寂しさがあり、自分で解決できない、ストレスを発散できない、悩みこんでうつ病として爆発していく。ブラジルにいたら少なくとも言葉もわかるし、自由に動くことができる。日本は仕事も含めて、行動の制限が大きい。付き合う人も限られる。そうなると、どうしても世界が狭くなる」
 そして早田さんのように、現地のことばがわかったとしても、移住先の人間関係では歴史の共有が浅くなるという。人間性も含め、深く記憶を共有できる人々が少ないと、浅いつきあいばかりになり、心を開けなくなるという。
 「友達はold friendとnew friendsに分けることができる。日本に来て出会う友達はブラジル人も含めてみんなNew Friendsになる。New friendsは我々の過去はなにも知らない。どこで産まれてどこで育ったかとか。私たちのことを深くわからない。さらにInstagramみたいなSNSにアップしているのはみんな幸せなことしかアップしないから、暗いことや悩みは分からない。本当のことはお互いにわからない」
 早田さんは自分自身の問題意識としても、移動先では自分の交流範囲が狭く、交流の質が浅くなっていくと感じ、意図的に自分の世界を「耕そう」としたのだ。

移民1世の親の影響

 早田さんはどのようにして今のような生き方に至ったのだろうか。
 早田さんは、「人付き合いを大切にし、自由に積極的に挑戦する価値観は親から受け継いだと思う」と言う。早田さんはサンパウロで、事業を営む1世(準2世)の父親と2世の母親のもとに産まれた。家庭内言語は日本語で、幼少期は日本人の通う幼稚園で過ごしたが、その後の教育は全てポルトガル語で受けた。父親は子どもの教育に熱心で、日本語や日本や世界とつながることも積極的に支援した。外国旅行にも行かせてもらい、当初は反対されたが、日本の大学への留学も支援してくれた。日本留学等の休学期間はあったが、ブラジルの大学の法学と経済学の二つを卒業した。世界を広く捉え、投資を惜しまず、挑戦することを応援してくれた親の影響は大きいだろう。
 しかし、早田さんも最初から今のように誰とでも幅広く繋がっていたわけではない。日本留学中は日本語習得を重視し、あえてブラジル人ネットワークとは関わらなかったという。そして留学帰国後は日本のメガバンクのサンパウロ支社で働いた。日本人の妻の里帰り出産時に日本に数年住んだ際は、グローバル企業で働き、世界中の人と仕事をしたが、そこでもブラジル人ネットワークとは関わらなかったという。

お金で人生を設計するのではなく、社会活動で人生を設計する

 早田さんが日本に本格的に居住したのは5年前だ。ブラジルの日本人学校に行かせていた子どもたちが中学に進学するタイミングで、日本に移住し、学校に進学させることになった。昨年帰化もした。大手企業やグローバル企業勤務の輝かしい経歴をもち、弁護士資格も有する早田さんであれば、日本でも華やかなキャリアが継続できただろう。
 しかし、47歳で日本に戻ってきたときは、社会的成功や金銭面でのインセンティブで仕事を選ぼうと思わなかったらしい。
 「ブラジルと日本の両方のバックグラウンドがある自分だからこそ社会に貢献できることがあるんじゃないか」
 そんな風に考えたことを妻に相談したところ「やりたいことをのんびり探せばいい」と背中を押してくれた。そしてポルトガル語通訳の仕事を単発で引き受けながら、団体運営や教育、相談のボランティアなど社会活動をするようになった。
 すると、活動を通じて生まれた、意図しない出会いや縁が、自分の人生を確実に豊かにすることに気づいたという。また、自分が大切だと思う活動が、逆にお金に繋がったこともあると言う。さらに、日本で色々な人と繋がった結果、ブラジルにいただけでは絶対に繋がらなかっただろうという層の人とハプニングのように繋がっていったという。中でも一番の嬉しいハプニングは、ジーコと知り合いになったことらしい。
 「ブラジルでは、そして日本のグローバル企業では、仕事関係でつながる人とだけ繋がっていたんだけど、今は、いろんなところに顔を出すようになって、ブラジル大使と会ったり、日本のトップクラスの人と会う。逆にブラジルにいたら大統領に会えるかと言ったら会えないんですよね」
 早田さんは最初から今があったわけではない。社会的、金銭的な成功を目指して働いていた時代もあった。そしてブラジル人を回避した留学生時代、グローバル企業で世界と繋がった時代、日本のブラジルコミュニティと繋がった時代という、3回の「越境」を経たからこそ、今の考えに至ったのだろう。

日本のブラジル系住民に伝えたいこと

 早田さんが今、日本にいる「デカセギ系」ブラジル人について思っていることが二つある。一つは親世代がもっと子どもに「いい背中」を見せてほしいということ、そして活躍しているブラジル人に、自分のように社会活動のネットワークに参加してほしいと言うことだ。子どもにいい背中を見せてほしいということについて、次のように語っている。
 「今まで活動してきて一番嫌なのは、子供がまだ小さいのに両親の都合で日本に連れてきて、子供を巻き込んでいるのに、結局子供に正面から向き合わないでいる親をみることだ。ちゃんと育てないで、当たり前のように両親と同じ派遣の工場勤務を繰り返させている。30年前、ブラジルから日本に来てからもう1・5世代がすぎているけど過去を振り返っても30年ぜんぜん変わっていない。ブラジルにいる日系人と違い、お父さんとこどもの仕事が変わっていない。
 親は日本で生活してなにをするのか、真面目に考えた方がいい。ただお金のためだけでなく、もっと大きくみてほしい。家と仕事の往復だけが人生じゃない。自分の興味のあることを見つけて、そのために勉強したり、海外旅行したり、そういうことをしてほしい。世界が狭くなっているから心の病気になったり犯罪を犯したりする。同じことの繰り返しを30年続けたら気持ち的にもよくないと思う」
 早田さんはブラジルの日系1世と日本のデカセギ1世との違いは成功に向けて努力する気持ちの差だと考えている。
 「ブラジルの日系移民1世はまず子供を農業から出そうとした。自分もクリーニング屋になったりして、子供を大学に行かそうとした。昔ブラジルの日系人はブラジルの大学でトップだった。今はちがうけど。でも、日本でブラジル人たちの次世代はいつこういう日本の大学のトップ争いに食い込めるのか。
 日本にいるブラジル人は時給ベースで簡単にお金が入る。たくさん働けば給料がたくさん手に入る。でも、ブラジルの日系人の場合はたくさん働いてもそんなに金にならなかった。いろんな悩みがあったんです。だけど、だからこそ『ああ成功したい』という気持ちがあったんじゃないか。
 日本にはそれがない。親が物質的に満足している。だから多分変わったらめんどうくさいと思っているのではないか。
 日本にいるほとんどのブラジル人は口癖のように『言葉ができない』『日本語ができない』っていう。だから仕事ができないと思ってる。そんなことはない。ブラジルの日系1世だって現地の言葉はできなかった。そして日本にいるブラジル人だって、言葉ができなくても日本で仕事ができている人はたくさんいる。大事なのは努力する気持ちだと思う。努力する気持ちを持って生きる親の背中を見せることが、子どもたちに、違う生き方を考えさせることにつながると思う」
 もう一つ伝えたいのは、社会的に成功しているブラジル人にもっとブラジルネットワークに参加してほしいと言うことだ。
 「ブラジル系移民2世で高学歴で社会的にも成功しているブラジル人は少なくないが、自分がブラジル人であることを隠して生きている人が多い。多くは日本人ネットワークの中に隠れている。彼らは気持ちもブラジル人じゃないし、顔も日本人に見えるし日本語しか話せない。選挙でブラジル大使館にきて初めてブラジル人だってわかる。どうか日本に住むブラジル系であることを隠さず、誇りをもって表明してほしい。そして積極的に日本のブラジルネットワークに参加してほしい」
 早田さんは日本のブラジルネットワークと繋がれることに価値を見出している。そう思えなかった時期も知っている早田さんだからこそ、同じ気持ちでいるブラジル人に、自分のような人を知ってほしいと思っている。日本にいるからこそブラジルでは普段付き合わない人とも繋がり、付き合えるようになる豊かさを知ってほしいと思っている。
 移動する人は、意識してネットワークを広げないと、移動しない人よりも世界がかえって狭くなる。しかし、意識して、つながる努力をすれば、世界の広がりや豊かさは予想をはるかに超えたものとなるのだ。

「多文化共生」ではなく「間文化共生」を

 早田氏は活動の中で知り合った小貫大輔氏の「間文化共生(インターカルチュラリズム)」と言う考え方が好きだという。「多文化」だと文化をわけて数えることになるからだという。ブラジルや日本というのはあくまでも自分を形成するバックグラウンドであって、それらは自分の中で融合しているからアイデンティティの悩みはないという。社会も同様に、多様な言語文化背景を持つ人々同士を分断し、どちらか一方の帰属に決めるのでもなく、どちらかの文化を消すのでもなく、融合してほしいと考えている。
 「ブラジルで一番代表的な料理を聞けばフェイジョアーダというでしょう。でもフェイジョアーダは元々ブラジルにあった料理ではない。アフリカからきた料理がブラジル人に受け入れられ、ブラジル人が食べやすいように変化してきた。大事なのは、いいと思う価値観を分けずに生きられる社会をつくることではないか。ブラジルはいろんな移民が一緒に生きていくなかで、そういう価値観を育ててきたと思う」

おわりに

 早田さんの発言は、ブラジルで生まれ育った日系人が日本とブラジルを30年間移動した気づきに満ちている。そして、移民の先輩国ブラジルのポテンシャルも。そして世界中でおこっている「寂しい」移民の現状も。早田さんの話は、移動の時代に、人が豊かに生きることのヒントを与えてくれるのではないだろうか。

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