これは移住して初めて知ったことで、移民を奨励した海外協会の宣伝文句にはない。日本移民は、
過密人口のはけ口として体よく棄てられたんだ。移民は棄民なり、と謂われる所以である。そんな不満を内にくすぶらせていたものである。
「ヴァモス、ヴァモス(さあ、行きましょう)」
矮小のロバに跨り、西部劇映画まがいの帽子をかぶった赤ら顔の男が、律子たちの横を通り過ぎた。肩から斜めに角ラッパをかけ、腰にはピストルと弾帯、左手に手綱、右手には鞭を握っている。労働者を指揮する監督のルーベンスだ。
「えらそうな恰好ね。まるで英雄気どりたい」
「あのピストルぶっ放すことがあるのだろか」
「彼、警察権をもっているんだって。耕地の掟に従わない労働者には、すぐにピストルを突きつけるらしいわ」
この世界には、奴隷制度が未だに抜けきれていないのだ。C十一号地区は耕地の高台になっていて、そこには四〇メートル高の展望台がある。町に住む耕主は時々やってきては、塔上から四周に広がる自分の耕地を展望するのだそうだ。
この地点からの四方の眺めはすばらしかった。はるか北側に本耕地のコーヒー乾燥場、倉庫、事務所、売店などが見え、西側にはアララ分耕地の白い箱型のコロノ住宅が約三〇棟並び、牧場の緑とのコントラストが美しい。南方には律子たちの住むパウダリオ分耕地が一文字に連なっていた。
六、七月はコーヒーの実の採取期である。コーヒーの実は熟すと地に落ちるが、全てが同時に落ちるわけではないので、人為的に竹の棒で枝を折らないように実を叩き落してやる。高い所は梯子を使う。落ちた実はラステーロで掻き寄せる。木の葉や砂も一緒に集まるので、そのまま篩に入れ、その片方を腰に当てながら揺する。砂は快い音をたてて足元に落ち、コーヒーの実と木の葉、小枝などが残る。それを篩の中央に寄せ、右斜め後方に頭上高く抛り上げる。自然と風が起き、煽られた葉や小枝は前方に散る。落下する実は右足を一歩退きながら篩で受け止める。これを二、三回繰り返すとコーヒーの実だけが篩に残る。この作業は熟練を要するが、リズム感があり壮快である。が、慣れるまでにかなり時間がかかる。掌に幾度も肉刺ができては破れる。
負けず嫌いの律子は、掌の血肉刺を包帯で巻きながら、歯を食いしばって努力した。幼時から《おてんば》と言われ、学校では体操の選手でもあったが、この異境の風土で、炎天に焦がされ、害虫に襲われながらの重労働はこたえた。