カバサッコの水晶採掘場を後にして、地元宝石取り扱い業者のビセンテさんの運転で景観が良いことで地元民に知られる「カショエイラ・ダ・ファブリカ(工場の滝)」へと案内してもらう。ジアマンチーナ市には50以上に及ぶ滝が各所にあると言われており、鉱物以外に観光資源にも恵まれている。
ビセンテさんの説明では、滝の下側に以前、繊維工場があったことから、「カショエイラ・ダ・ファブリカ」という名前が付けられたそうだ。しかし、今は繊維工場そのものが時代の流れにより、無くなったという。
カバサッコ採掘場から数キロ離れたメダーニャ(Medanha)という町のバス停を兼ねたパーキング・エリアの隣接地に、別荘を所有しているビセンテさん。別荘内の庭には柑橘類や野菜などを植えており、自ら熱心に水やりをしていた。パーキング・エリアのレストランでミナス料理の昼食を済ませた後、レストランの窓から見えていたジェキチニョニャ川(Rio Jequitinhonha)をビセンテさんが案内してくれた。この川の土地の一部はビセンテさんたちが所有する私有地となっており、鉄線と木材で作られた簡素な柵を通って川沿いの砂浜へと歩く。川は以前から金(きん)とダイヤモンドが採れる場所として知られ、今でも探せば鉱物が見つかる可能性も高いという。しかし、この川も環境問題の影響でIBAMA(ブラジル環境・再生可能天然資源院)が採掘を禁止しているそうだ。
ビセンテさんは夏場の週末などに家族や親せきたちと別荘に来た際は、別荘からほど近い私有地の川べりでシュラスコ(焼き肉)などを楽しみ、川で泳いだりして一日を過ごすと話してくれた。
メダーニャを発ち、ビセンテさんの車でジアマンチーナ市へと戻る。途中、ジアマンチーナの町が一望できる高台で車を停めてもらう。その近くには18世紀にポルトガル人に連れて来られた奴隷が通ったという「カミーニョ・ドス・エスクラーボス(奴隷の道)」があり、石畳で造られたその道を少し歩いてみる。同所からジアマンチーナの町を見下ろしながら、当時の植民地時代に思いを馳せた。
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4日目の朝。前日に続いて、今度はビセンテさんの親せきであるファビアーノさん(26歳)が別の採掘現場に連れて行ってくれるという。彼は普段、平日の午前中はビセンテさんたちが経営するジアマンチーナ市内のコンドミニオの施設で働いているが、午後からは友人と共同でガリンペイロ(山師)の仕事を行っているそうだ。
この日は、特別に午前中の仕事を休み、記者と鉱物コレクターの斉藤猛さんのために、時間を空けてくれたのだった。(つづく、松本浩治記者)